(1枚目:県道209号 旧南有馬町境 2枚目:県道209号 旧加津佐町境)
最大の目的であるこの南有馬町と加津佐町の長崎県タイプに到着し無事現存を確認!!
合併から約15年経った今でも残っています。これを撮影するため千葉からはるばる1200kmを越えてやって来ました。これで撤去されていたらどうしようと不安にもなりましたが見事裏切られず堂々と設置されていたのであります!!
かなりマニアックでありますがこれも立派な長崎県タイプですので撮影することをお勧めします!
ではこれらのカントリーサインのイラストを見てみましょう!
まず、南有馬町側。イラストは天草四郎です。天草四郎といえば有名な島原の乱の最高指導者です。島原の乱は悪政による住民の苦役や重税に加えて天候不良による農作物の不作が重なり住民が一揆をおこし、南有馬にあった原城に籠城し、幕府軍に反抗したが3ヶ月の籠城も空しく全滅してしまうのが一通りの出来事である。原城跡は現在長崎と天草の潜伏キリシタン関連の遺産として世界遺産となっており、当時のキリシタンの歴史や島原の乱について学ぶことができるそうです。この原城跡に天草四郎像があり、カントリーサインのイラストはそれをモチーフにしたものと思われます。
本当は原城跡に寄っていくつもりでしたが、この地点に到着した時間が予定より大幅に遅れていたことや体力と心身の消耗により原城を見学する余裕がなかったため断念しました(T_T) いつか訪れてみたいです。(もちろん自転車でなくです。)
続いて加津佐町側。
「えっ、これは‥‥何のイラストだ‥‥」
とお思いの方がほとんどでしょう。実際私も初見では何のイラストかわかりませんでした。ネットで探してもどこにも情報がなく、wikipediaの方にも加津佐町は空欄。そこで、私は長崎県に行く前に国会図書館にて加津佐に関連しそうな文献を探しました。そしたらある写真を見つけて何のイラストかわかりました。詳しくは次の記事辺りで現地に行ってきましたのでそのとき紹介します。
これにて本日のカントリーサイン収集は終わりでございます!!このあとはひたすら国道251号を島原駅に向けて走るだけです。
ここで北有馬町のカントリーサインのイラストに描かれた「先まるくん」について紹介。というのも、国道251号にこんな像が立っていたからです。
そうです、前々回の記事で紹介した北有馬町のカントリーサインに描かれていたやつです。どうやら町のキャラクターのようです。詳しくは銅像の台座に書かれていましたのでご紹介します。
「先まるくん」とは北有馬町の伝統的な踊り「先踊り」をイメージしたキャラクターです。
先踊りの歴史は古く約350年前、島原地方に新しい領主として松平忠房公が来た際に、町の有志らが殿様行列の先頭で舞った歓迎の躍りからきているそうです。
元々この踊りは大踊という名称で、城下の催しや祭礼で一番のメインの躍りだったそうです。大踊が終わらなければ他の躍りを踊ってはいけないという暗黙のルールや先踊りを踊っている行列が来ると他の躍りは途中でも止めさせられるという程の武士の踊りとして格式と権威を持っていたようです。
その後、奉祝行事として作踊り(豊年踊り)へ変容して先に踊るということから先踊りよ呼ばれるようになったそうです。一時期は継承者不足で途切れていた時期もあったようですが、地元の人により北有馬町の伝統的な踊りとして復活をとげ今なお先踊りを日本だけではなく海外にも披露してその名を広く知られるようになっているそうです。
先まるくんはそんな北有馬町のシンボルとして平成2年に誕生していろんな場所で活躍しているそうな。
なんとも歴史がつまったものだとは思わなかったです。カントリーサインにはどちらかと言えばシンボルマークとして使われたみたいです。是非先踊り見る機会があれば見てみたいものです。
さて、この時点でお昼はとっくに過ぎており、朝からまんじゅうと水分しか取っていない私はお腹ペコペコです。実は、この日のお昼は何を食べるか事前に目をつけておりそこへ向けて出発!
北有馬町から国道251号を島原方面に進むこと30分、西有家の市街地へ。そんな西有家ですが実は知る人ぞ知る手のべそうめんの発祥の地とされていて、須川そうめんもしくは島原そうめんとして日本屈指のそうめんの生産の町なのです。そこでこのそうめんを使った西有家町の郷土料理「地獄煮」とやらをいただくことに。お店は南島原市役所の真ん前にある素麺料理を扱う「面喰い」にお邪魔することに。店内はどちらかと言えばカフェみたいな感じで落ち着いた雰囲気が特徴的でした。そして次の写真が例の地獄煮です。
地獄煮とはしょう油ベースのスープつまりけんちん汁に近いものと一緒に食べるそうめんのことです。味は少し味の濃いしょう油が細いそうめんがマッチして美味しかったです(*^^*)
疲れた旅人の心と体を癒してくれるまさに優しい味でした。写真を良く見るとジャガイモが入っているのにお気づきでしょうか?普通はこういったしょう油ベースの汁ものにジャガイモは入れないと思いますが。島原半島はジャガイモの産地としても知られており、昔から身近にあったものを使って作るまさに郷土の味を堪能できました。
そうめんの石像‥‥自分の自転車を停めたとき横に大きな石碑があるなと思っていたら、実は束のそうめんを型どっていました。実にユニークな像です。世界中探してもそうめんの像は西有家町にしかないでしょう。youmyanはこの像気に入りましたぞ!
こうして、無事食事も済ませ休憩もそれなりに捕ったのであとはひたすら島原へ進むだけ。残り約20kmもありダルいですが自転車を返さなくては帰れないのでやるしか無いってことです!私は海沿いの国道251号なら起伏が少なくて楽に帰れると読んだのですが、それなりに起伏があり登ったり下ったりとまあなんとも不毛な道のりで体力を削ぎ落とされました‥‥
西有家町から進むこと1時間、ついに南島原市と島原市の境界に位置する深江町に戻ってきました。ここでちょっと寄り道を。
道の駅みずなし本陣深江というところ。目的は例の道の駅のマグネットを買うことと平成の雲仙普賢岳の噴火による遺構を見ることです。
道の駅みずなし本陣ふかえでは平成3年に起きた雲仙普賢岳の噴火による土石流で家ごと飲み込まれたものを後生に伝えるため保存展示が行われています。写真の通り、山から流れてきた土石流が家々をまるごと飲み込み、まるで家が沈んだかのようになっています。とても恐ろしいです‥‥土木を学ぶ身として自然災害の在りかたとそのためのまちづくりを考える上で火山による災害はどんなものか一度見てみたかったので見ることができて良かったです。この噴火による被害について学ぶことがいろいろできますので島原に訪れた際には寄ってみてはいかがでしょう。
道の駅からそこまで離れていないところに島原市と南島原市の境界があり、本日ラストのカントリーサイン撮影を行いました。
(1枚目:国道251号 南島原市境 2枚目:国道251号 島原市境)
国道251号は県管轄でありますが章入りタイプの設置です。南島原市の方は章部分が国道57号のもの同様青色です。英文字は「Minamishimabara」と区切られていないようです。
これで、長かった島原の旅は終わりです。南島原市ともお別れし、道の駅から数十分で島原駅に到着です。
雨にも降られることなく、パンクもなく無事着いてホッと一安心です。このあとは、ボロボロになった体を癒すため温泉に向かうことに。もちろん島原半島で温泉といえば雲仙温泉です。 雲仙温泉へはバスでラクラク行くことができます。なんといっても今日は島原鉄道の電車バス乗り放題の切符を手にしているため移動費がかからないのです!!
そしてこの切符を駆使することにより加津佐町のイラストに描かれた場所にも行くことができましたので、その模様を次回お届けしようと思います!!
続く
youmyan