南三陸町散策(前編)
こんばんは!yomyanでございます(^_^) また、ブログの更新のスパンが開いてしまい申し訳ないです。。
前回から引き続き3月の東北遠征の模様をお伝えします。
今回は旅3日目にあたる、南三陸町散策についてお届けします。
※なお今回からあと3回分までは東日本大震災関連の記事を予定しております。極力当事者にとって不快な思いをさせないよう記事を書いていきますが、そのところを留意した上で読みたい方は読んでくださいませ。(こうは書きましたが、そこまで掘り下げることはしませんのであくまでも現地に赴いたことをそのまま書く記事にするつもりです。)
旅3日目、仙台を始発で出発しました。前日と同様に東北本線に揺られること約45分、定刻通り乗り換え駅である小牛田駅に着きました。ここで、石巻線に乗り換えさらに前谷地駅で気仙沼線に乗りかえ、気仙沼方面を目指しました。もちろん、気仙沼市のカントリーサイン撮影が目的です。
この気仙沼線ですが、現在はは鉄道列車の区間は登米市の柳津駅までしか走っていないのです。かつては気仙沼駅までちゃんとレールがあったのですが、東日本大震災の影響で柳津駅から気仙沼駅間は壊滅な被害を受けました。そして、この区間は復旧に時間が要することや予算と乗客の比率を考慮して、区間をバスを用いたBRT方式を採用し震災以前と同じ駅と駅を結び事実上の復旧をしました。
ここで、軽くBRTについて説明するとBRT(Bus Rapid Transit)はバス高速輸送システムと直訳することができます。一般道路を走るバスは交通状況に左右されやすく、必ずしも定刻通りに一般客を輸送することができない課題に対して、BRTはバス専用道路を使うことによって、他の交通に邪魔されることが無いため安定して目的地に定刻通りに運輸ができるというところがメリットである。
気仙沼線では線路が敷いてあった敷地を舗装してバス専用道路にすることによってBTRの仕組みを採用している。この仕組みの良いところはバスを用いているため一般道にも侵入が可能であり、線路から離れた場所にバス停を設置することも可能であり、バス専用道路と組み合わせることによって鉄道と同じくらいの定刻到着のスペックを有するのです。それに加えて、線路を引きなおすより舗装をした道路にする方がコストが安上がりになるためさいようされたようである。
因みに気仙沼線の先にある同じく津波の影響を受けた大船渡線も同様BRTが採用されておりバスでありながら、運行形態はJR管轄なので青春18きっぷも特例で使えます。
実はこの珍しいバスに乗ることも目的だったりしました。
定刻通りに柳津駅に着いた私は接続しているバスに乗り換えを待ちました。この日の天気は写真の通り晴れ。小牛田駅にいた時は気仙沼の方面が真っ黒な雲で覆われていたのでどうなることかと思っていたら案の定晴れていてくれてよかったです。
これが気仙沼BRTの入り口です。震災前はこの先は線路が引かれていましたが、バスが走れるように舗装しなおされています。
そうこうしているうちにバスが来ました。真っ赤なボディーが特徴的ですね。内装は、いたって普通のローカルバスと変わりませんし、乗降システムもブザーを鳴らして降りるという方式を採用しているため、通過する駅(バス停)も出てくるところが鉄道と異なるてんでしょうか。
バスに乗り発射定刻近くになり、鉄道跡にひかれた道路とはどんなものなのだろうとわくわくしていたところに、アナウンスが。
「ただいま、バス専用道路の一部区間で点検整備を行っている影響で一般道を走行するため定刻より遅れが生じます。」
「なん、だと!!」
まあ、今回は急いでるわけではないため遅れることに特に(私個人的に)問題は無かったのでよかったのですが、バス専道を通らないのは残念でした。
とは言え、一部の区間だけが通れないだけで全区間通れないわけでは無かったのでバス専道を楽しむことができました。特に隧道は鉄道のそのまま感が出ておりなかなか面白かったです!
バスの発車定刻になりいざ気仙沼に向けて走り出しました。本当ならば先ほどの写真の道を行くのですが、今回は使えないようなので迂回路の国道45号を使って向かいました。ある意味、このバスは本来は通らない道を走っていたためレアな体験でもありました。が、しかし一般道は信号などがあり思うようには進まず、また災害復興のため工事も多く見受けられれ片側通行の箇所もありやはり定刻通りには駒は進みませんでした。改めて、BRTは被災地においていかに有能であるか感じました。
それでも、遅れは数十分といったところで南三陸町に入り、本来鉄道が無かった市街地など周り(BTRだからできること)、歌津駅付近からバス専道に入り最初の目的地である、蔵内駅へ着きました。
そこから歩くこと20分くらいで気仙沼市と南三陸町の境界へ到着。
(1枚目:国道45号 気仙沼市境 2枚目:国道45号 南三陸町境)
宮城県タイプぅぅぅ!!!やっぱりイラストと章入り標識のセットは贅沢ですなあ。因みにですが、南三陸町側はしばらく前まで町章が入っていませんでしたが、数年前に管理事務所さんに「どうして町章が入っていないのですか?」と問い合わせたところ、「入れるのを忘れていたためであり、関係機関と調整して入れる。」とお返事をいただき、その数か月後にはよくお世話になっていますカントリーサインの写真を掲載されているサイトにて南三陸町章入りの写真を撮影されたことにより知り、ついに宮城県内全市町村章入り標識の復活(平成の大合併以前は全市町村に章入り標識があった)したのである。これが、唯一私が問い合わせて実現したカントリーサインの変化であり、ずっと撮影したかったのでやっと今回念願がかない大満足。
南三陸町の章入りはこの地点と国道45号の登米市境にもあり、両者イラストが異なっており(登米市側は旧志津川町の志津川湾とヨット、ここ気仙沼市側は旧歌津町の魚竜の化石のイラストである)今回は歌津Ver.しか撮影できなかったのでいづれ志津川Vre.も撮影したいものです。
気仙沼市のイラストは写真の船とカモメのイラストですが、県境に旧唐桑町の折石、旧本吉町のマンボウそしてなぜか一か所だけ旧本吉町のハマナスの県境の標識が設置されており、これもすべてコンプリートしたいものです。
境界付近にあった案内板ですが、この境界は旧本吉町であったためか、カントリーサインに描かれていたマンボウのイラストが残っています。昔はようこそ本吉町へだったのだろうか?
この後は蔵内駅に戻り南三陸町の中心街の志津川に向かいました。
続く
youmyan