youmyan’s diary

カントリーサイン好きの私 youmyan こと ゆうと が撮影したカントリーサインや旅の紹介をするブログです。

群馬県高崎市新町の街歩き

こんばんは!youmyanでございます!

今回取り上げるのは群馬県高崎市新町です。

高崎線新町駅前にあった高崎市のガイドマップです。地図で見て分かるように高崎駅や市街地がある高崎市域から離れた場所に飛び地として存在しているのが新町領域です。

2006年の1月に高崎市編入される前は群馬県多野郡新町として独立していました。本当は隣接している藤岡市と合併する予定だったようですが破談して、高崎市と合併することで飛び地になってしまったようです。

さて、私がなぜに新町に行こうと思ったのかと言いますと、もちろんカントリーサイン関係にあります。上の新町領域マップを見てもらうと南西の方に紫の線が通っています。これは関越自動車道でわずかながら新町を通過しています。という事は新町のカントリーサインが設置されているわけなのです。ただ、基本的に高速道路のカントリーサインは撮影困難であるため撮影対象としていなくて時たま脇道から撮影できそうなときには撮影するスタンスで、この新町は上下線に残ってはいるものの草木で遮られて今まで撮影困難だったため撮影はしていなかったのですが、つい先日関越自動車道を通った(ちょうど前に千曲市に行った時ですね)時に下り線の新町のカントリーサインが設置されている場所の木々が伐採されていて側道から撮影できそうな状況だったのでゴールデンウイークやることも無いのでカントリーサイン撮影ついでに新町を散策したわけです。

千葉から鈍行列車で約3時間くらいで新町駅に着きました。実はこの駅を降りたのは初めてではなく1年半前にも来ておりこの時もカントリーサインの撮影を目的で来ました(詳しくはまた後で)。なのでまさか、またこの駅に来ることになるとは当時は思っていませんでした(笑)

さてここからは、歩いて関越道の側道に向かう訳ですがだいたい30分くらいで到着しました。

(関越自動車道 下り線 埼玉県上里町境にて)

これが関越自動車道における旧新町のカントリーサインですね。わずか600mしか通っていないのに律儀に設置されています。

イラストは神流川合戦のものです。イラストデザインは浅野モオム氏が作成したものだそうです。

この神流川合戦は1582年、織田信長が死んだ際に神流川で起こった戦いらしく、関東南部の北条氏と上州を治める滝川一益氏が関東の領地をかけた戦いだそうです。

戦いの結果は北条氏が勝利したのですが両者損害が大きく、死者が4千人を超えたそうです。戦いの様子は「炎熱石を焦がし流水煮える阿鼻叫喚の死闘であった」と伝えられており関東最大の激戦とも言われてるそう。その時の戦いの場所がちょうど新町にあって史跡などが至る所にあることから新町のカントリーサインに採用されたようです。

見ての通り、道路の法面は草木がほとんど無くなってすっきりしています。少し前までは結構立派な木が生い茂っていて標識どころか道路の上場すら見えない感じだったのですがなぜか数mにわたって伐採されています。何故なのかわかりませんが新町のカントリーサインが撮影できてラッキーでした。

実は関越自動車道群馬県区間(厳密には高崎管理事務所管轄)ではカントリーサインの一斉更新が行われており、それに伴ってイラストのデザインが一新されました。高崎市もイラストが更新されたので新町領域のカントリーサインも交換or撤去が危惧されましたが現在まで残っています。ただ、上信越道の旧吉井町領域の高崎市もイラストが交換されているためもしかしたらいずれか、この新町のイラストも拝めなくなってしまうかもしれません。撮影する方は早めに撮影することをお勧めします。

(関越自動車道上り線 藤岡市境にて)

因みにですが反対の上り線側はというと、こんな状況で草木が生い茂っていてまともに撮影できません。先ほど前にも新町に来たと話しましたが、そのときに撮ったのが上の写真です。下り線側は完全に草木が生い茂っているのは分かっていたのですが、上り線はワンチャン撮影できるのでは?と思い訪れたらこの有様です。。ああ、側道からの撮影は無理や。

当時は新町のカントリーサインは道路上で助手席の時に上手く撮るしかないなと思っていたので、下り線の草木の伐採は喜ばしい誤算でした。高速道路のカントリーサインがだんだん減っていくなか少しでも少しでも記録に残したと思っていたので良かったです。

無事、目的を果たしやることは無くなったのですがせっかく交通費払ってきたので町を散策することに。

次に向かったのは国道17号線の神流川橋。

関越自動車道が走ってる場所から東の方へ土手を歩いていると国道17号にぶつかります。写真は土手の写真です。この日は絶好のお出かけ日和でのどかな土手を散歩するのにちょうどよかったです。写真右手が神流川の河川範囲ですが水流がある場所はもっと奥にあって川幅の割には小さい印象です。なので、畑だったり公園として利用されているようです。

土手を歩いていると間もなく国道17号の合流地点が見える場所にこのような神流川古戦場跡の石碑と解説があります。本当にここで合戦があったという証拠ですね。

ここが国道17号神流川橋です。ちょうど群馬県と埼玉県の県境にあってカントリーサインマニアとしては大事な地点です。

しかし、肝心のカントリーサインは設置されていません(T_T)

実は2022年に新しい橋に架け替えられたのですが、だいたい開通から1年半以上経つのに設置される気配が無いです。同じく国道17号の反対の県境である新潟県境では新三国トンネルが開通した時はちゃんと新設されたのに、こちらはいまだに設置されてません。旧道のものが移設されるのかなと思いきや、今回訪れた時は旧道のカントリーサインすら撤去されていました。

因みに、昔はこんな感じで直轄仕様の章入りカントリーサインが設置されており、新橋開通後もしばらく残っていたようですが、それすらも無くなってしまい、かろうじて新橋からもカントリーサインが見えていたので良かったものの、ついに県境を目視できなくなってしまいましたね。。現地を見た感じ、新しい橋の隣にもう一本橋を架ける感じで4車線にする際にまとめて新設するのかなと思いましたが、現段階でも設置してもいい気がしないでもないですかねぇ。

あと、この地点のカントリーサインですが、群馬県のマーク部分が県章ではなく県旗のマークが使われていて、結構レアなんですよね。昔は県章タイプよりも県旗タイプが使われていたようですが、最近は県章にタイプに統一されてきており、現在では国道50号の栃木県境のみでしか見れない代物です。しかも、国道50号のものは国道17号のものと違ってポジタイプであるため、ネガ県旗タイプは国道17号のみだったので今回撤去が確認されたことで貴重なカントリーサインがまた消えていったことになります。なんだか寂しいものです。直轄だからそうそう撤去は無いだろうと思っていても今回のような事例があるので、なるべく撮影したいものは早めに撮影するのは大事だなぁって思いました。

神流川橋のカントリーサインの設置の確認を終えてた私は、ちょうどお昼過ぎの時間だったのでお昼にすることに。せっかくなのでこの町の名物をと調べるとソースかつ丼が有名だという事がわかりました。

どうやら、先ほど出てきた神流川の合戦から「合戦に勝つ」からカツを新町名物として推しているようです。町内でかつ丼を出しているお店はいくつかあるのですが、各お店によって味が違うんだそう。

私はソースかつ丼が食べれるお店のなかで訪問日に営業している「あやめ屋」にお邪魔しました。

こちらがあやめ屋の外見です。お蕎麦屋さんですが、丼ものも提供しているそうです。

中に入るとまちの定食屋さんって感じで良い雰囲気のお店でした。

さて、私が注文したのは、丼ものと蕎麦がセットになってるものです。今回はミニソースかつ丼とたぬき蕎麦ですね。そばの他にもうどんや冷たいものにも代えられるそう。これで950円です。量もあってリーズナブルな価格です。

味はというと、カツは甘辛いソースとしっかりとしたお肉と絡み合ってさっぱり食べやすい印象でした。そして、そばの方ですがしっかり食べ応えがあっておいしかったです。蕎麦は全てこだわりの石臼挽きだそうでのど越しが良いそばに仕上がってるそうです。あと、つゆも出汁が効いておりすごく飲みやすくて、つゆまで飲み干してしまいました(笑)

今回は食べなかったのですが、イカ天だったり、カレーうどんも人気らしいので是非また食べに行きたいなと思いました。18きっぷで群馬によく行く機会がありますが、新町駅は千葉への帰り道にあるので是非下車してまた来ようと思います。

胃袋も満たされて満足したので最後に国道17号に戻って今度は藤岡市の境界でカントリーサインを撮影することにしました。

(1枚目:国道17号 藤岡市境 2枚目:国道17号 高崎市境)

こちらが藤岡市境の藤岡市高崎市です。

直轄国道なのに文字のみの藤岡市。新町時代からどうやら文字のみだったようです。

群馬県直轄国道高崎市側のような小ぶりな章入り標識もしくは英無し文字のみ、一部で大型のイラスト標識が設置されており、比較的新しい標識で英あり文字のみは直轄国道は珍しい存在。サイズ感も左右の余白があって独特な感じです。あれですね、旧式の白看板の現代版みたいな印象を感じました。

一方で、高崎市側は群馬県直轄国道で見られる吊り下げ小ぶりサイズの章入りです。群馬県はあんまり章入り標識を設置しないイメージですが、高崎市はいたるところで章入りが見れるのであんまりレアな感じはしません。

そういえば、私が小学生の頃茨城から長野県に旅行に行く際に関越自動車道の外側に見えていた高崎市カントリーサインはここのものみたいです。当時、まだカントリーサイン撮影を始めて間もないころだったのですが、標識には興味があったので車窓から高崎市の標識が見えて、高崎市のマーク入りの標識があるなくらいの印象はあり、その標識を初めて見てから約10年以上経ってから回収することになって、もう10年以上カントリーサイン撮影を続けてるんだなぁって思うと感慨深いものです。

ところで、この地点の高崎市は昔は新町だったと思うのですが、当時は章入りだったのですかね?反対の県境の方は章入りで画像もそれなりに出回っているのですが、反対のこの地点の新町の画像って見た事無いんですよね。もし、章入り標識だったら、ポジタイプだったのかな?気になるところです。

おわり

youmyan