youmyan’s diary

カントリーサイン好きの私 youmyan こと ゆうと が撮影したカントリーサインや旅の紹介をするブログです。

長崎県のカントリーサインについて

こんばんは!youmyanです(^_^)

 

今回は珍しく旅日記ではなく、長崎県カントリーサインの設置傾向について語ってみようと思います。

長崎県の代表的なカントリーサインと言えば、こちらの赤・水色・緑で表現されたイラストが入った独特の大型標識が思い浮かぶでしょう。

長崎くんちの龍踊りが表現されており、長崎市の標識だと一目で分かります。このような大型イラスト標識が各県道の市町境に設置されており、各町ごとのデザインを楽しむことができます。

現在は、こんな感じで42種類もの標識が現存しています。こんな感じでリストで並べると、統一色があるので統一感が凄く気持ちいものです。

そんな長崎県のイラスト標識について私がいろいろ調べたところ、なかなか興味深い文献が出てきました。

(出典: みちくさ Vol.2 Road News Nagasaki(出版:建設省長崎工事事務所))

こちらが長崎県のイラスト標識について重要な記述がされている文献です。昨年度の夏に長崎県立長崎図書館で見つけました。

「どこに書いてるのんだ.......ん?えっこの赤枠で囲った写真に写ってるパネルのことか.......」

そうです、この赤枠で囲った写真に写ってる展示パネルに書いてあるものが長崎県のイラスト標識について書いてある唯一の資料なのです。

パネルの構成は説明文と各自治体の標識が並べてあります。

この写真だと粗すぎて(複写してもらったものを写真にしてるので)なんて書いてあるか読めませんが、原本だとかろうじて読めたので以下に記述します。

 

(説明文の段落が写真と違うのはご了承願います。)

えっ、長崎県のこの標識はふるさとサインっていうんだ!!

ここ何年も市町村標識について調べてきましたが、北海道の市町村標識にカントリーサインっていう名前が付いているように、長崎県の市町村標識にも正式名称があったとは驚きである。

因みに山口県と福岡県の独自のイラスト入り市町村標識もふるさとサインという名称が付いています。この3県で見ると山口県の平成2、3年頃に一斉に整備しはじめ、その後、平成7年に福岡県、長崎県大分県(名前こそ「豊の国サイン」でふるさとサインではありませんが、ふるさとを豊の国(大分県)と変えたものと思われる)に普及した感じですね。名前からして、山口県の特産品を入れた標識が間違いなく影響されたと考えられます。(なので私はこの4県のカントリーサインをふるさとサイン4兄弟と呼んでます。)

 

さて長崎県ふるさとサインについてイラストが完全に分かる資料があるのか気になるところですが残念ながら現時点で発見できてません。長崎県にも問いあわせてみたのですが、一切の情報が無いとのことです.......

ただ、上記の資料の別ページにもふるさとサインの展示パネルが写っていました。

(出典: みちくさ Vol.2 Road News Nagasaki(出版:建設省長崎工事事務所))

「........ いや写っているけど小さくて分からんよ。」

もう、本当にこれくらいしか資料が無かったんですよ。私も全自治体のイラストをみたいですよ。

まぁ、北松浦郡南松浦郡自治体のイラストは判明しているところが多いのでこれを元に各自治体のふるさとサインがどこに配置されているか試しに推測してみました。それが以下の通りです。

「うそだろ......これだけの情報で何でここまでわかるの????????」

本当にそう。自分で集計していて何でここまで分かるのか、もはやカントリーサインに執着しすぎた結果ですよ、病気ですね(笑)

まぁ、実はふるさとサインの並んでる順番について既知の自治体をこの画像と照らし合わせると自治体コード順に並んでることに気付いたって言うだけなんですけどね。なので、市部や北高来郡は本当にこの順番になってるか確定では無いです。

加えて、なぜか有川町新魚目町だけ自治体順に当てはまらなく前後逆になっています。有川町の位置は絶対合ってる自身があります(笑)(イラストの特長が分かりやすい)

 

このリストをみると、いかに長崎県自治体は多かったってことが分かります。今でこそ21自治体しかありませんが、当時は79もあったのでカントリーサイン撮影も回りがいがあったのでしょうね。

因みに、当たり前ですが離島でかつ外部と道路が接していない自治高島町伊王島町鷹島町、大島村、小値賀町宇久町奈留町にはそもそもふるさとサインのデザインが設定されていませんでした。逆に言えば、境界に橋などを介して接している平戸市生月町、福島町、大島町崎戸町にはちゃんと設定がされていたようです。まぁ、実際に設置がされていたことが確認できているのは大島町崎戸町だけなんですけどね。

と、こんな感じでちゃんと70何自治体分のイラスト標識のデザインがされていたことが分かったのですが、ここからは実際にどの程度設置されたのか現時点でいろいろ調べた結果について細かく書いていきたいと思います。

(因み同年代同様の大型イラスト標識を採用している大分県では離島の姫島村を除いた全57自治体すべてに設置されており、現在も57種類すべて拝めます。)

 

五島市(福江島)

福江市→確実に設置されていた(r27・162に支柱が残ってる)

岐宿町→現存

玉之浦町→現存

三井楽町→現存

富江町→現存

 

五島市平成の大合併前、1市5町で構成されており、奈留町を除いた4自治体は福江島で各自治体の境界があり、ちゃんとふるさとサインが設置されており、福江市以外は現在でも現存しています。福江市はふるさとサインの画像を見た事はありませんが以下の写真のような支柱が残っており確実に設置されていたことが分かります。

 

 

新上五島町(中通島)

上五島町→現存

若松町→現存

新魚目町→現存

有川町→現存

奈良尾町→現存

 

新上五島町は上記の5自治体がくっついて出来た自治体ですが、基本中通島に集まっており自治体の境界はこの島で完結していました。こちらも福江島同様にふるさとサインがかんびされており、全自治体のふるさとサインが現存しています。しかも、福江島と違って設置されていたふるさとサインの撤去が全くされておらず、県管轄の道路の旧行政界には残っているというとても珍しい自治体です。

 

対馬市(対馬)

厳原町→現存

美津島町→現存

・豊玉町→現存

・峰町→現存

・上県町→現存

上対馬町→撤去

 

対馬も全6自治体にふるさとサインが完備されていました。ただし、国道382号にしか設置されて無く、基本的に上対馬に向かう方角にしか無く(厳原町美津島町境にある)、福江島中通島のように県管轄の道路にすべて整備されたわけでは無さそうです。(まぁ、もっとも県道の境界にはどのような標識があったか全く情報が無いので完全否定はできませんが)

因みに、上対馬町は佐須奈トンネルの新道供用に伴い撤去されてしまったようです。峰町は2023年までは残っていましたが2024年になぜか撤去されてしまいましたが、2025年8月に行ったら、峰町は復活していました。

 

壱岐市(壱岐島)

郷ノ浦町→現存

勝本町→現存

芦辺町→現存

石田町→現存

 

壱岐島は以前、ブログに書いた通り旧4自治体のふるさとサインは残っています。基本的には国道382号に設置されており、たまに県道にもあるといった設置具合です。ただ、対馬と同じで片側にしかふるさとサインを設置されていないという謎の現象が起きており、おそらく合併の影響で撤去されたとかではなくもともと設置されていないが事実なんじゃないかと思っている。

 

平戸市

田平町→現存(平戸市として流用)

平戸市生月大橋に設置されていた可能性あり

生月町生月大橋に設置されていたかもしれない

 

現在の平戸市は旧田平町の長崎本土部と平戸島の旧平戸市生月島生月町的山大島の大島村で構成されており、現在本土部で見られる平戸市テントウムシのふるさとサインは田平町のものになります。なので、旧平戸市と旧生月町のふるさとサインが設置されていたとなると、田平地区と平戸島を結ぶ平戸大橋平戸島生月島を結ぶ生月大橋の2か所のみになる。

しかし、平戸大橋にはC型(英文字あり文字のみタイプ標識)が平戸市田平町の両側確認できているので、もしかしたら長崎道路公団管轄で同じ生月大橋も文字のみタイプがあった可能性が高そうです。ただ、同じ長崎道路公団管轄の大島大橋大島町と西海町のふるさとサインが設置されたので平戸市生月町のふるさとサインが設置されていてもおかしくはないんですよね。

 

松浦市

松浦市→現存(県管轄の道路に何か所か設置されている)

・福島町→福島大橋に設置されていたかもしれない

 

現在の松浦市は長崎本土部の旧松浦市と福島の福島町、鷹島鷹島町の3自治体がくっついて出来た自治体。松浦市にはふるさとサインが整備されており何か所かで見られ、鷹島肥前大橋佐賀県と境界をつなぐ橋ができた際にはちゃんと松浦市のふるさとサインが設置されました。鷹島が合併せず残っていたらもしかしたら鷹島町のふるさとサインが見られたかもしれませんね。

一方で福島町は合併前から佐賀県伊万里市と福島大橋で陸路で結ばれており、ふるさとサインが設置されていてもおかしくは無いのですが現在時点で長崎県の標識すらないため元々設置は無かった可能性が高さそうです。代わりに歓迎のモニュメントが代わりをなしてるのでなかったかも。いろいろ文献を調べたけど、当時の福島大橋の写った写真が見つけられていないので探したいところです。

 

佐世保市

佐世保市→現存(2種類存在している)

世知原町→現存

吉井町→現存

江迎町→現存

鹿町町→現存

小佐々町→現存

 

佐世保市は旧佐世保市北松浦郡の6自治体が合併して今の形を成しています。

離島である宇久町を除いてすべての自治体でふるさとサインが整備されており、現在でも世知原町,吉井町,江迎町,鹿町町,小佐々町のふるさとサインが残っており拝むことができる。というか、吉井町とか江迎町とかに関しては佐々町松浦市平戸市の境界に旧自治体名のまま堂々と残っています。なのでこのあたりは合併前の状態を維持していて昔の設置傾向を調べる身としてはありがたい地域です。

また、本来の佐世保市のふるさとサインについて、なぜか2種類のイラストが存在しています。(パネル資料にもちゃんと2つのイラストが設定されている。)

このようにハウステンボスが描かれているバージョンと九十九島の夕日が描かれているバージョンの2タイプ存在します。

因み、設置個数はどちらも2か所ずつの計4つ設置されています。撤去されたもの(確認ができたもの)を含めると九十九島バージョンが4つになり計6か所あったことが確認できています。この2タイプ、どのような基準で設置されているのか謎ですね。

 

北松浦郡

佐々町→現存

 

北松浦郡で唯一残った自治体です。こちらもちゃんとふるさとサインが整備されいます。むしろ、市町村標識はこのふるさとサインのみしか存在していなく、シンプルな文字のみは設置されていません。

 

東彼杵郡

 

東彼杵町→現存

川棚町→未設置

波佐見町→現存

 

東彼杵郡の3自治体は川棚町以外はふるさとサインを整備しています。

東彼杵町は県道6号の佐賀県嬉野市境と大村市境にあります。どこかのサイトでこの場所の文字のみタイプの標識が写った写真を見た事あって、1999年頃辺りは文字のみタイプ(C型)が採用されててそのあとに設置されたようです。しかも、なんでそんな場所にというところにあるので撮影が大変です。というか、通る人も少ない場所にふるさとサインが設置されるなら、川棚町のもっと車通りがある場所に設置して欲しいものです。

波佐見町は、ふるさとサインの方が設置率がよい珍しい自治体です。文字のみも2か所だったかな?

 

大村市→未設置

 

大村市もなぜかふるさとサインが無い自治体です。県道6号の東彼杵町のふるさとサインがある反対は大村市ですが、文字のみタイプが設置されており同じ管轄でこの違いは何だろう....って感じですね。

 

長崎市

 

長崎市→現存

外海町国道202号長崎市に訂正されて現存

琴海町→不明

三和町→不明

香焼町→不明

野母崎町→不明

長崎市周辺はC型が多く設置されておりの旧自治体はC型の可能性が高いが、外海町のようにふるさとサインがある場所もあるので、琴海町とかにはふるさとサインがあったかもしれないです。三和、香焼、野母崎に関しても全くと言ってほど情報が無く文字のみの標識の情報ですら無いので不明です。

実はこちらの自治体のふるさとサインのイラストのデザインは判明しています。また、同様に長崎市はイラストが3種類設定されていて、実際にはくんちのイラストの物だけ確認できていますが、残りのグラバー園眼鏡橋バージョンももしかしたら旧自治体の境界にあったかもしれないです。

 

西彼杵郡

 

長与町→現存

時津町→未設置

 

西彼杵郡の生き残りの2自治体ですが、長与町には2か所ふるさとサインが設置されていますが、時津町の方はふるさとサインが整備されていません。これを踏まえると長崎市周辺の自治体は文字のみタイプが主流だったのかなと思います。

 

西海市

 

西彼町西海市に訂正されて現存

・西海町→現存

大島町→現存

崎戸町→撤去済

大瀬戸町西海市に訂正されて現存

 

西海市になった5自治体すべてにふるさとサインが整備されていることが分かっています。というか、崎戸町以外は現存しています。大瀬戸町西彼町西海市に訂正されて現役で使われいます。

 

諫早市

 

諫早市→現存

小長井町→標識板が現存しているので国道207号辺りにあったと思われる

多良見町→県道33号に諫早市に訂正されて現存

高来町国道207号に設置されていた可能性がある

飯盛町→国道251号に設置されていた可能性がある

森山町→国道251号に設置されていた可能性がある

 

諫早市になった自治体は長崎県タイプはあった可能性が高い。ただ、飯盛町森山町にC型、国道251号の従来の長崎市がC型だったのでわりとC型大国だった可能性が高い。もしくは国道のみにイラストタイプがあったかもしれない。

(国道251号 長崎市境界 旧飯盛町の境界)

国道251号の旧飯盛町森山町の境界で、諫早市のふるさとサインが設置されているのですが、写真を見ると何やらリベットで上から打ち直している跡があって、横から見ると標識が重なっているのがお分かりいただけるだろうか?間違いなく飯盛町森山町のふるさとサインから重ねて諫早市のふるさとが設置されている感じで、飯盛町森山町のふるさとサインが整備されていた証拠になります。

高来町諫早市小長井町にイラストタイプが確実にあったのでほぼ確であったと思われるが情報が無いですね。

 

雲仙市

 

愛野町→設置されていたかな.....

吾妻町→確実に設置されていた(国道251号に支柱あり)

・瑞穂町→確実に設置されていた(国道251号に支柱あり)

国見町→不明

千々石町→不明

・小浜町→不明

南串山町→撤去済

雲仙市になった自治体は分からないことが多い。県道の境には支柱が残っているが長崎タイプの設置跡が確認できないため多分文字のみだったのかな。確実に長崎タイプの支柱が残っているのは国道251号の吾妻町と瑞穂町だけ。

こちらが、国道251号の旧吾妻町と瑞穂町境にあった支柱です。

位置的には瑞穂側にあるので瑞穂町のふるさとサインがあったのは確実だと思われます。

一方、同じく国道251号の旧吾妻町と瑞穂町の吾妻町側はこのような支柱があってこちらは文字のみタイプがあったんだろうという事でもしかしたら吾妻町は文字のみタイプしかなかった可能性があります。さっきの瑞穂町の支柱に両面利用だったら別ですがどうなんでしょうねぇ。

また、瑞穂町の国見町との境はどうなっているかというと

こうなっていて、向き的に瑞穂町のふるさとサインが設置されていた支柱で、瑞穂町は確実にふるさとサインの整備がされていたのが分かります。一方国見町側は瑞穂町支柱の後ろにぼろい支柱が被ってあったので両面でふるさとサインがあったとは考えずらく、もしかしら文字のみだったのかもしれません。

そして愛野町は国道251号の旧森山町の境でこのような支柱が残っており、現在は雲仙市の章入りタイプが設置されていますが、支柱をよく見るとふるさとサインが設置されていた跡と取れる縞模様が見えるためこちらもふるさとサインが設置されていた可能性が高そうです。瑞穂町にも二本支柱があることや、国道251号の飯盛町から瑞穂町までふるさとサインが設置されていた痕跡があるという事で、順当に国道251号の飯盛町諫早市森山町愛野町吾妻町、瑞穂町まではちゃんと整備されていたと推測できます。

グリーンロードの愛野町国見町境は独自の標識が設置されていますが、こちらはふるさとサインとは全く関係ないと思われます。

小浜町と南串山町もあるが小浜町は章入りだし、南串山町にはC型があったのでもしかしたら長崎タイプは無かったのかもしれない。ただ、国道251号の小浜町境に南串山町のふるさとサインが設置されていたのは分かっているので小浜町にもふるさとサインが整備されていてもおかしくは無いですが情報が無いです。

千々石町は国道251号を通らない(厳密には国道57号の重複区間になる)ので、島原半島の県道には文字のみタイプという法則を当てはめると、ふるさとサインの整備は無かったと思われます。

 

島原市

 

島原市→無かったかも

有明町→無かったかも

島原市有明町は国道251号とグリーンロードに支柱跡があるが、長崎タイプが設置されていたかは微妙な感じ。少なくても、グリーンロードの有明町国見町側が文字のみ、島原市側がグリーンロード独自の標識だった感じだったのであるとすれば国道251号だけかな。

ただ、国道251号に残っている支柱は長崎タイプの設置されている支柱は二本柱かシルバーの支柱でこちらは白支柱であるため違う。ただ、外海町のもの支柱は白支柱であるため皆無とは限らない。また旧有明町境界の雲仙市境に謎のボロボロ島原市のC型があるため多分国道251号の島原市はC型だったのだろう。有明町も同様な気がする。そうなると国道251号の国見町の支柱が違うのも合点がいくし、瑞穂町の境の国見町が文字のみだったという仮説も成り立つ。

 

南島原市

 

深江町→不明

布津町→不明

有家町→不明

西有家町→不明

北有馬町→不明

南有馬町→r209に現存

口之津町→国道251号に存在した

加津佐町→r209号に現存

南島原市になった自治体は不明な点が多い。長崎タイプは南有馬町加津佐町口之津町で確認されている。南有馬町加津佐町は雲仙グリーンロード上にそれぞれ長崎タイプと雲仙グリーンロードの独自の形式(イラストは同じ)があありこれを考慮するなら北有馬町西有家町も雲仙グリーンロードのバージョンがありこれが長崎タイプとして使われていた可能性があるが長崎タイプの独自のカラー意匠と合わないので長崎タイプと呼べるか微妙。

また、北有馬町西有家町の県道に通常サイズのE型があり、他の自治体もこのタイプが採用されていた可能性が否めない。

そして、口之津町の長崎タイプがまさかの国道251号にあったというのだから国道251号には長崎タイプがあったかもしれない。(少なくても国道251号の南串山町にふるさとサインがあったので南串山町深江町にはふるさとサインが整備されていてもおかしくは無いです。)

 

といった感じで、意外とふるさとサインについて不明な点が多いのが現状です。特に、島原半島や旧北高来郡辺りはふるさとサインがあったであろうに情報がほぼ皆無なので、情報を知っている方がいれば是非教えて欲しいです。

引き続き、長崎県のふるさとサインについては重点的に調べる予定なので何かあればまた追記します。

 

・おまけ

上では、ふるさとサインについて書いていきましたが、全体的な設置状況(文字のみはあったのか、章入りはあったのかなど)のリストも掲載しますので参考にしてください。

※標識の形式について我々カントリーサインマニアの中でA~Fなどで振り分けてその区分で表記しているため、該当する標識の例も入れておきますので参考にしてみてください。

以下のリストはAからE、ふるさとサインのふ、農道独自のイラスト標識X型で振り分けます。

 

長崎県カントリーサイン設置状況(2025年8月17日時点)

長崎県→A(撤去済)、C、D、ふ

長崎市→B、C、D、ふ
琴海町→不明(Cがあった可能性)
外海町→ふ(長崎市と訂正されて現存)
香焼町→不明
三和町→不明
野母崎町→不明
伊王島町→当時は島独立だったため境標識は設置なし
高島町→島独立のため境標識は設置なし

長与町→A、B、C、ふ

時津町→C

西海市→ふ(大瀬戸Verと西彼Verを流用)
西彼町→E、ふ(ふるさとサインとは別のE型あり)
大瀬戸町→B(撤去済)、ふ
・西海町→B(撤去済)、E、ふ(ふるさとサインとは別のE型あり)
大島町→ふ
崎戸町→ふ(撤去済)

諫早市→B、C、D、ふ
・旧諫早市→C、D(新章に書き換えられたが旧章が見えかけてる)、ふ
多良見町→D?(R34にあったであろう)、ふ(諫早市と書き換えられて現存)
飯盛町→B、C、ふ?(R251に飯盛町ふるさとサインを上書きした跡がある)
小長井町→B(撤去済)、ふ(諫早振興局に保管)
高来町→ふ?(R207号にあったと思われる)
森山町→C(撤去済)、D(撤去済)、ふ?(R251に森山町ふるさとサインを上書きした跡がある)

雲仙市→B、C、D
愛野町→B?、D(撤去済)、ふ?(R251に愛野町のふるさとサインが設置されていたであろう支柱がある)、X
吾妻町→B?、X
・瑞穂町→B、ふ?(R251に瑞穂町のふるさとサインが設置されていたであろう支柱がある)、X
国見町→B(撤去済)、X
千々石町→B(撤去済)、D(撤去済)
・小浜町→D(R57にネガタイプがあった可能性あり。農道にカラーが現存)
南串山町→C(撤去済)、E、ふ(撤去済)

島原市→C、D、X?
有明町→B(撤去済)、X(撤去済)

南島原市→C、D
深江町→A、C(撤去済)、X
布津町→A、C?、D?(R57にCとDがあった可能性があり)
有家町→D(撤去済)
西有家町→B、E
北有馬町→B、E
南有馬町→ふ
口之津町→ふ(撤去済)
加津佐町→ふ

大村市→C、D

東彼杵町→D、ふ

川棚町→D

波佐見町→C、ふ

佐世保市→C、D、ふ
世知原町→ふ
吉井町→C、ふ
江迎町→A、C、ふ、X
鹿町町→ふ
小佐々町→ふ
宇久町→島独立のため境標識は設置なし

佐々町→ふ

松浦市→C、ふ
・福島町→不明
鷹島町→当時は島独立だったため境標識は設置なし

平戸市→ふ(田平町のものを流用)
・旧平戸市→C(撤去済)
田平町→C(撤去済)、ふ、X
生月町→(不明)
・大島村→島独立のため境標識は設置なし

小値賀町→島独立のため境標識は設置なし

新上五島町→島独立のため境標識は設置なし
新魚目町→ふ
上五島町→ふ
有川町→ふ
若松町→ふ
奈良尾町→ふ

五島市→島独立のため境標識は設置なし
福江市→C、ふ?(ふるさとサインがあった形跡あり)
岐宿町→C、ふ
三井楽町→ふ
玉之浦町→ふ
富江町→ふ
奈留町→島独立のため境標識は設置なし

壱岐市→島独立のため境標識は設置なし
郷ノ浦町→ふ
石田町→C、ふ
芦辺町→C、ふ
勝本町→ふ

対馬市→島独立のため境標識は設置なし
厳原町→ふ
美津島町→B、ふ
・豊玉町→B、ふ
・峰町→B、ふ
・上県町→ふ
上対馬町→ふ(撤去済)

 

6日間長距離遠征!!2025(対馬編)

こんばんは!youmyanでございます(^_^)

 

前回は福江島での活動をした模様をお伝えしましたが、今回は対馬での活動をお伝えします!!それではさっそく書いていきます~!

 

・2日目(2025年7月31日)

16時50分発のフェリーで長崎港を目指します。所要時間約3時間で20時に着きます。

福江島を出てあっという間に見えなくなり、ひたすら五島灘を進む船。夕暮れになるとこんな風に綺麗な夕景を見ることができます。ひたすら船の音と波の音が響く船のデッキはとても心地よいもので、何も考えないでずっと遠くの島を眺めていました。

そして、あっという間に長崎港に到着しました。遅れることなく定刻どおりに到着です。

港から街の風景を撮影した写真。20時を過ぎていますが、まだ完全に暗くなり切っていない空は長崎の明るい街とマッチしていてと綺麗です。
さて、長崎市街地に来たことですし、ちゃんぽんでも食べたいところですが、これから対馬に行かないといけないのでゆっくりしてる時間はありません。

20時に長崎港ついて、20時20分発の博多行きの新幹線に乗って博多港を目指します。長崎港から長崎駅って地味に離れているので、駅についてちょうど新幹線が発車する位には離れています。

20時20分、定刻通り長崎駅を出発して西九州新幹線の現時点で終点の武雄温泉駅までは約30分で着きます。前回長崎に来た時は嬉野温泉駅から諫早駅区間しか乗車していませんが、今回で西九州新幹線全線乗車できました。

現在は、武雄温泉駅までしか開通していなく博多まで行くには途中で乗り換えないといけなく、西九州新幹線の意義として微妙なところがあるように思いますが、自分は現段階で開通している部分だけでもすごい便利になったなという印象で、佐賀県長崎県の県境がだいぶショートカットされて武雄温泉駅から諫早駅の間の乗車だけでも旅の幅が増えたなって感じます。

実際、今回福江島から対馬に行くのだって、この西九州新幹線ができたおかげで福江島を夕方に出発しても翌日には対馬に着けるんだから本当にありがたい。

私が初めて長崎県を訪問したのが2020年で当時、武雄温泉駅嬉野温泉諫早駅長崎駅に行っていますが、新幹線の工事の真っただ中でしたが、開通してからもう3年経つんだもの時の流れは早いものです。

22時30分ごろ、博多駅に着きました。

新幹線は定刻通りでしたが、在来線区間の特急が遅延して30分くらい遅れて博多駅に着きました..... 九州って単線区間が多かったり、特急も多いので、1本でも遅れると全体的に遅延するので、今回も前の特急に異音のための点検で遅れることに。こういうことがあるから、やっぱり西九州新幹線の博多までの完全分離を早期的に進めて欲しいものです.....

上のとんこつラーメンは博多駅の構内にあるラーメン屋で食べたものです。福江島から何も食べれて無かったので、これが遅めの夕食です。毎回、博多駅に来るたび、豚骨の独特の香りを漂わせていて、気になっていたのですが今回ようやく訪問。

味は、思ったよりあっさりで、美味しかったです。このとんこつラーメンで使われる極細麺がとんこつスープと絡んでいいんですよねぇ~。スープもちゃんと飲み干して、いざ博多港へ。

博多駅から、地下鉄に乗って中洲川端駅で下車して徒歩で20分くらいで着きます。前回、壱岐に行くときにも来ているので道には迷いませんでしたが、やはり遠いですねぇ。博多港のランドマークであるポートタワーが見えてきて、ターミナルに到着。

壱岐に行くときは第一ターミナルを使いましたが、今回は第二ターミナルから出航です。到着は船の出航1時間前くらい。割とギリギリでしたが、何とか乗船券を確保していざ対馬に向けて出発です。

23時45分ごろ、乗船を開始しました。今回乗るフェリーはフェリーちくし号です。この船は、博多港を出ると、壱岐の芦辺港を経由して、対馬厳原港に到着する流れになっています。この便は博多を深夜に出て、約5時間かけて早朝に対馬に到着します。この船を使うことで、寝ながら移動ができるという、1日分の宿を節約できるというありがたいもの。しかも、早朝から対馬で活動できるので、時間とお金を節約したい人にはもってこいの船です。

・3日目(2025年8月1日)

日付が翌日を回り、0時5分定刻通り船は出航です。対馬に着くまでは、寝ます。今回、2等でフリースペースで雑魚寝状態でしたが、自分は布団が無くてもどこでも寝られる人なので爆睡してました(笑)

朝4時50分ごろあっという間に厳原港に着きました。ここで、事前に7時までは船内に居られるという情報があったので、6時ごろの活動開始まで寝てる予定でした。しかし、7時までは船内で過ごせるものの、7時になるまで出れない、つまり6時とか中途半端な時間には出れないアナウンスを聞き、7時まで港に降りれないとなると予定が崩れるので、船が到着してすぐに下船することに。

こいつが、乗ってきたフェリーちくしです。デカいですねぇ。そして、長崎県内で20番目の訪問となった対馬対馬市に上陸です!!まだ、5時前なので暗いです。昨日は、同じ長崎県五島市に居ましたが、移動するのに約12時間かかりました。同じ長崎県内とはいえ、離島間の距離を実感しました。

さて、港を出発するのにはまだ早いので、ターミナル内で対馬での予定を立ていたら意外と時間が過ぎて、ちょうどいい時間に。ちょっと早めではありますが、5時30分過ぎ厳原港を出発です。

夏場なので、5時半を回ればもう明るくなっています。これくらい明るければ、カントリーサインがある場所に着くころにはちょうど良い明るさになっているでしょう。

ここで、対馬について説明すると、対馬1島は現在対馬市で1島1市となっています。この対馬市になる前は6自治体で構成されており、厳原町美津島町、豊玉町、峰町、上県町、上対馬町となっていました。なので、もちろん陸上に行政界があるのでカントリーサインがあって、しかもちゃんと長崎県のイラスト標識があります。そして、情報によれば、昨年度10月の時点では厳原町美津島町、豊玉町、上県町が残っているとのことでしたので、こちらを撮影に来たという訳です。

さっそく、港から歩いて厳原町美津島町カントリーサインを撮影に向かいます。

だいたい1時間くらい歩けば着きます。

(1枚目:国道382号美津島町境 2枚目:国道382号厳原町境)

予定通り、港から1時間くらいで旧境界に到着しました。こちらが厳原町美津島町カントリーサインです!!ちゃんと長崎県で見られる3色イラスト標識です。対馬もちゃんと長崎県だって言うのが感じられます。

そして、対馬では標識にローマ字だけではなくハングル語が併記されているものをよく見かけます。対馬カントリーサインにもちゃんとハングルが併記されています。

対馬は、韓国が近く釜山と定期便があるくらいに韓国から対馬に来る人は結構いるのでそのためでしょう。

ハングルは、ローマ字と同じく日本語50音に対応できるので、ハングル語でいづはらまち、みつしまちょうと書いてあります。町の部分をよく見るとちゃんとまち読みとちょう読みで分けられています。英語だと、町は行政区分の町ということで一括りで固有名詞のTownで統一されていますが、ハングルだと発音の方で表記しているみたいです。

因みに、対馬の中で町をまちと読んでいたのは厳原町だけであとの5自治体はちょう読みだったそうで(合併後はすべて美津島町○○の場合はまち読みに統一されました)長崎県内で平成の大合併前、大半がちょう読みだったのに対してまちと読んでいたのが厳原町愛野町千々石町宇久町の4自治体だけだそう。

無事、厳原町美津島町カントリーサインが残っていることを確認できたのですが、美津島町カントリーサインの支柱が写真の通りなんか錆びかけています....このままだと倒れてそのまま撤去って言う未来が見えているので撮影したい人は早めの撮影をお勧めします。

次の目的地は、上県町。対馬の中では上対馬地区に次いで遠い場所で、今回移動で使う路線バスは美津島町にある空港より先は本数が少ないので、比田勝に向かう最初の便でカントリーサインが設置されている一番遠い上県町から撮影して折り返しで豊玉町を狙う算段です。

そして、7時15分ごろ、比田勝ゆきのバスに乗っていざ、上県町へ。ここで、驚いたのが、路線バスが満員だったことです。地方の路線だし、席に座れるだろうと思っていましたが、席が埋まっていることに加えて立っている人も結構いてぎゅうぎゅうずめ。

なんで、こんなに人が居るんだろうって思って見まわてみると、みんなスーツケースを持っていて、会話が日本語じゃなかったことでみんな韓国に帰る人だと気づきました。さっきの、ハングルで触れましたが韓国人が良く来るって聞いていましたが、まさかここまで居るとは正直びっくり。どおりで標識にもハングルが入るくらい需要があると言訳で、国境の島と呼ばれるのに誇張のない盛況ぶりでした。

バスは国道382号を北上していき、豊玉町と過ぎていき峰町に差し掛かります。2023年までは豊玉町と峰町の境に峰町のカントリーサインがあったのですが、昨年度撤去されているのが確認され、それが一時的な撤去なのかもう再設置はされないのかそれも一応確認するのも行程に含まれていたので、境界付近バスの中から目を凝らしていると....

まさかの復活?!!!

あんまり期待はしていませんでしたが、ちゃんと峰町のカントリーサインが復活しているでは無いか!心の中でガッツポーズをして峰町のカントリーサインも撮影できる行程に急遽変更。とはいえ、まずは上県町まで向かうことは変えず、カントリーサインがある峰町と上県町の境界へはバスに乗ってから1時間半くらいで到着です。

(国道382号 旧峰町境にて)

こちらが上県町のカントリーサインです。ストビューや事前のカントリーサインマニアさんからの情報だと上県町のカントリーサインは草木で隠れて見えない感じなっていたので、きれいに撮影できるか心配でしたが、この通りまわりの木々は伐採されていて板面がきれいに見える状態になっていました。

こんな感じで木が伐採されており、標識の裏を見ると板面を留めているねじに赤い印が付いていたので、おそらくいったん標識を取り外て周囲の木々の伐採が行われたのだと思われます。峰町の再設置の時に、こちらの標識が見えないことに管理者が気付いて整備をしたのかなと。対馬市になってからもう20年以上が経つのにちゃんとカントリーサインを大事にしてくれているなって感じた出来事です。カントリーサイン愛好家からするととてもうれしいものです。

因み、反対の峰町はありません。というか、対馬自体ちゃんとカントリーサインを設置していたのが国道382号だけのようで、しかもイラスト標識が設置されたのは国道の北側の境界だけなのですよ。(厳原町美津島町、上県町・上対馬町の境界は両側にあった)なので、上県町以外は1ヶ所しか設置されていた形跡が無く、片側だけイラストイラスト標識、もう片側が文字のみという感じで、なんとも中途半端な感じですね。というわけで、対馬にあるカントリーサインは一点ものでレアものな訳です。撤去されたらもう見れなくなってしまします。上県町はかつて上対馬町側にもあったのですが、新しいトンネルが開通して、上対馬町もろとも撤去されてしまいました。上県町は峰町の境界にもあったので、消滅を免れましたが、上対馬町は全滅(とはいっても、もともと一か所しか無かった)してしました。残念ではありますが、どこかの福江市と違ってイラスト自体は判明しているのでまだいい方です。

 

さて、上県町も無事撮影できたので、次は峰町に戻ります。

比田勝から厳原に戻るバスで豊玉町と峰町の境まで戻ります。

20分くらいで境界最寄りのバス停に着きます。ここからは境界まで少し歩きます。

(国道382号 旧豊玉町境にて)

バス停から歩くこと10分くらいで境界のあるトンネルへ。まずは、文字のみの峰町がお出迎え。おそらく、イラスト標識が登場する前はこのB型が主流だったのでしょう。感じのイラスト標識はトンネルを越えた先にあります。

(1枚目:国道382号 旧豊玉町境 2枚目:国道382号 旧峰町境)

こちらが、峰町のイラスト標識です!!もう、一生実物を見ることができないかなと思っていたので、とてもうれしいです!!イラストは、対馬にわりと生息している鹿が描かれています。どやら、峰町に鹿牧場なるものがありそれを描いてるのかなと思うのですが、ネットで調べたのですが鹿牧場についてあんまり情報が無いんですよね。今回は時間の都合上行けませんでしたが、また対馬を訪問をした際に調査してみたいです。

そして、反対の豊玉町は文字のみタイプです。ここにはかつて、郡界(下県郡上県郡の境でもあった)を表す境標識もどきしかもA型(白看板)があったそうですが撤去されていました。郡界を表す標識って珍しくて、ぱっと思いつく限りだと長野県の飯島町松川町上伊那郡下伊那郡くらいで、だいぶレアものだと思います。

これで、残りは豊玉町のイラスト標識を残すのみです。ただ、対馬を観光することを考えると、今日じゃなくて翌日にするのがいいかなって思って翌日の厳原発の比田勝行き始発の便で豊玉町の境界に向かいました。

・4日目(2025年8月2日)

(1枚目:国道382号美津島町境 2枚目:国道382号 旧豊玉町境)

こちらが、豊玉町のイラスト標識です。イラストには町の鳥であるコウライキジとゲンカイツツジです。

そして、この豊玉町をもって、長崎県に現存しているイラスト標識全42種類すべて撮影完了しました!!!2020年の初めて長崎県訪問から実に5年をかけてようやく長崎県のイラスト標識撮影の目標達成です!!そして、地味にこれらイラスト標識を撮影するのに公共交通機関とレンタサイクル、徒歩のみ縛りで撮影できたのでこちらも達成できて満足です。自治体訪問も長崎県はあと小値賀町を残すのみとなったので、近い内訪問して、長崎県自治体訪問の実績を解除したいところです。

これにて、今回の旅の目標は達成したので、このあと対馬で観光して、翌日の朝の便で博多にもどり、その次の夕方に関東に戻るのでした。

 

おわり

 

・おまけ

対馬に滞在している間に行った場所をいくつか紹介します。

こちらは、上県町にある対馬野生生物保護センターで撮影したものです。こちらは、ツシマヤマネコなど絶滅のおそれのある野生生物の生態や現状について解説し、野生生物保護への理解や関心を深めていただくための普及啓発活動や、希少な野生生物の保護増殖事業、調査研究業務を総合的に実施するための拠点施設として設置されましたそうです。

けがをしたツシマヤマネコの保護とかをして野生に返すための活動を行っていて、保護しているツシマヤマネコを見ることができるという事で、見に行ったのですが、残念ながらねこちゃんの体調不良で展示の見合わせで見ることができず(涙)

でも、展示で対馬にいる生物たちについて詳しく解説されていており、とても勉強になりました。対馬にはまた来たいと思っているので、次訪問する際には実物のねこちゃんが見れるといいなと思います。

センターの扉に貼ってあったステッカー、こちら上県町のカントリーサインに描かれていたイラストと同じやつです。このイラストが上県町のシンボルマークだって言うのは知っていましたが、ツッシーっていう名前が付いているのは初めて知りました。

そして、センターのすぐ近くに日本最北西端の碑と海が一望できる展望台があったので行って見ました。

まず、日本最北端の碑ですが、こちらは日本の中で一番西でかつ一番北という場所がここだそうです。そして、ここから、広がる海の先40km進むとで韓国にたどり着けるそうです。冬場の空気が澄んでる時はここから韓国のまちが見えるそうです。センターで写真を見せてもらいましたが、思ってるよりはっきりビルや橋などの構造物が見えて、本当に大陸に近い場所なんだと思いました。是非、冬場に行って生で韓国を眺望してみたいです。

対馬を歩いていると、このようなツシマヤマネコの飛び出しの注意喚起の看板や標識が至る所に。ねこちゃんとても大事にされているなって思います。

対馬と言えば、アナゴだそうで、アナゴの刺身とアナゴ天丼を食べました。アナゴの刺身は初めて食べたのですが、食べ応えがあって見た目は白身魚のヒラメとかに近いのですが知っているアナゴの味がしっかりやってきてとても美味しかったです!!天丼の方も、身がとてもぷりぷりしてかなり食べ応えがありましたこれも美味しかったです!

そして、長崎といったらあらかぶ(カサゴ)ということで、煮つけがあったので注文して食べてみました。思っていたより、魚の旨味が強くてカサゴってこんなに美味しいんだって知りました。1匹が結構おっきくて食べ応えが抜群で大満足です。

そして、今回対馬を訪問した日に港まつりが行われていて、花火大会があったので見てきました。3500発もの花火はとても大迫力で、多くの観客を魅了していました。花火を生で見るなんていつぶりだろう位に久しぶりにみたので、感動しました。打ちあがる花火それぞれ、色や形が違っていて火薬の詰め方でこうも変わって来るんだと思うと花火というものを作った昔の人は凄いなって思いながら見ていました。すごい良かったです。

本当は、翌日の朝鮮通信使の行列を見に行きたかったのですが(これが今回の旅での目的だった)、時間の都合上無理だったのでまた来年行けたら行きたいなと思います。

 

今回の旅は島めぐりみたいな感じになりましたが、同じ長崎県なのにどの島も島ごとに全然違った景色を見せてくれるのでとても楽しい旅になりました。

対馬ってとても遠いイメージでしたが、深夜便の船に乗るなど工夫すればわりと行きやすい場所なのが分かったので、まだ見たりない場所生きたりない場所ばかりなのでまた行きたいと思います!!

五島列島もまだ久賀島奈留島若松島小値賀島宇久島とまだまだ行った来ない場所もあるので、行きたいですし、平戸島や福島など長崎県内にはまだまだ行ったこと無い地域がたくさんあるので、今後も定期的に長崎県には行きたいと思います!!!

 

youmyan

 

6日間長距離遠征!!2025(福江島編)

こんばんは!youmyanでございます!(^_^)

 

前回に引き続いて、九州遠征の模様を書いていきたいと思います!

 

・2日目(2025年7月31日)

新上五島町で迎えた朝、福江行きの船に乗るために青方港に向かいました。

今回、福江島に向かう船として選んだ、野母商船の太古号。

デカい!!いや、フェリーってこれくらいのサイズなんだろうけど、いままで船に乗る経験がほぼ無かったのでとても大きく感じます。

この太古ですが、博多港五島列島を結ぶフェリーで、夜の11時くらいに博多港を出発して宇久島小値賀島中通島(青方)、奈留島そして朝の8時過ぎに福江島に着きます。(復路として福江島発の博多港行きもあります)

青方港には5時40分頃到着で、6時5分出発という時刻設定となっています。この日は夏休みの時期と被っていたのでこども連れの家族が多く下船していました。帰省でしょう。逆に私のように福江島に向かう人は数人程度しかいなかったです。

定刻通り出発して、福江島方面に向かう航路では写真のような五島列島の島々が見渡せます。なんか、航海してるって感じですごく良かったです~。

これが、前回の記事でちらっと出てきた若松大橋です。中通島若松島を結ぶシンボル的存在です。見ての通り真っ白です。まじかで見ると立派なトラス橋です。

こんな感じで、船は橋の下をくぐっていくのですが、すごく迫力があります!

普段は橋を下から見ることが無いので、橋の下がどうなってるか見ることができる良い機会でした。

この後はひたすら、五島列島の南側を進み続け、奈留港に寄港したのちに福江港に到着しました。

船からみた、福江港と福江の市街地です。思ってたより高い建物があり、市制化してるだけちゃんと大きな町だなと感じました。


定刻通り8時15分過ぎに無事福江島に到着した私はさっそく今日の移動手段を借りるために港内にある観光案内所に向かいました。

レンタサイクル~
そう、今回福江島にあるカントリーサインを撮影するための移動手段として使うのは自転車です。こんな、アホみたいに暑いのに自転車かよと思われた方、しょうがないんですよバスがカントリーサインのある場所まで通っていなかったんですもの.......

いろいろ調べた結論として、レンタカー以外の交通手段の中だと効率よく島を回れるのがレンタサイクルだったという訳です。

まぁ、壱岐カントリーサインを撮影して回った時もレンタサイクルを使ったので珍しくないかと思いますが、ただ壱岐と違うのが目的地までの距離です。

ここ、福江港から一番遠い目的地である三井楽町の境界までなんと約28km.....

ちなみ壱岐で行ったサイクリングは郷ノ浦港から一番離れた場所で10㎞以内です。

壱岐の約3倍の距離を走らないといけない訳なのです....

しかも、この28㎞はあくまでも片道、往復で考えると60km以上は走る計算になります。

それでも、いままでの経験的にかかる時間で港に戻ってこれる時間を出して帰りのフェリーに間に合うと判断したので熱中症にだけは十分気を付けて決行することに。

(ちなみに、5年前に行った島原駅から加津佐・南有馬のカントリーサイン撮影のために行ったサイクリングも片道31㎞くらい...... あの時は、熱中症になりかけた記憶があるので今回は飲み物をこれでもかってくらい補給しながらサイクリングを行いました。)

港を出てすぐにある、福江島の旧自治体の地名てんこ盛りの看板をくぐり島唯一の国道である国道384号をひたすら三井楽方面に進みます。

ここで、福江島の管轄である五島市について説明すると、五島市は2004年に福江島福江市岐宿町三井楽町玉之浦町富江町そして奈留島奈留町の1市5町がくっついてできた市になります。もちろん、福江島長崎県なのでちゃんと長崎県の大型イラスト標識が整備されており、今回はそれらを撮影に回ろうという事です。

港を出て、国道を道なりに進むこと40分ほどで最初の自治体旧岐宿町

(国道384号福江市境にて)

こちらが岐宿町カントリーサイン。今までの長崎県タイプの大型イラスト標識同様にちゃんと水色、赤、緑の配色でデザインされています。イラストは遣唐使船寄泊地の碑のようです。こちらは、実際に見て来たので後ほど紹介します。

ただ、この場所のカントリーサイン、草木の陰であんまりきれいに撮影できず......

でも、大丈夫。岐宿町カントリーサインはもう一か所現存してる場所があるのでそっちで撮影することにします。(本当は、ここだけで済ませたかったのになぁ。)

そして、反対の旧福江市はというと無い!!!!

実は、福江市カントリーサインは合併早々に撤去されてしまったようでそもそも画像でもどんなカントリーサインだったかも見たこと無いのです。この場所もしばらく前までは福江市カントリーサインが付いていたであろう支柱があったので福江市にも大型イラスト標識があったのは確実なのですが、情報が全くないんですよね.......

誰か、福江市カントリーサインについて知ってる人が居たら教えて欲しいものです.....

イマ一つで始まった福江島でのカントリーサイン撮影、この場所に長居する必要は無いので次へとさっさと進みます。次の町は三井楽町。ですが、この近くにも撮影したいカントリーサインがあるのでそちらにも寄っていきます。

(1枚目:市道岐宿町境 2枚目:市道福江市境)

先ほどの、国道の旧境界からすぐ逸れる道に(おそらく国道の旧道)、文字のみでありますが福江市カントリーサインが残っています。福江島で文字のみ英ありタイプの標識はここしか現存していなくて、おそらく今も昔も文字のみタイプはここだけだった気がします。(他はみんなイラスト標識)

現在、福江市のイラスト標識が存在しないため、福江市を表す貴重な存在です。

ちなみに岐宿町カントリーサイン、ローマ字が「Kishuku(きしゅく)」となっていますが、岐宿は「きしく」と読むので間違っています。地味に難読かもしれませんね。

国道384号に戻り、三井楽町方面に向けてひたすら走ります。岐宿町の市街地に入ったところでちょっと寄り道です。

ここは、魚津ヶ﨑公園(ぎょうがざきこうえん)で、岐宿町カントリーサインに描かれている遣唐使船寄泊の碑がある場所です。一番上の、岩の写真ががカントリーサインの真ん中に描かれている石碑になります。

遣唐使船は前回紹介した、上五島を出港し次に寄港したのがこのあたりだそうで、ここを発つと、最後三井楽町を経て大陸に渡っていたそう。唐という世界最先端の文化を知るために、命を賭けた航海をしていたと思うと、知的好奇心のためにそこまでできる当時の人は凄いと思います。

現在は飛行機で簡単に世界各国に渡れますし、ネットで日本に居ながらいろいろな情報を知ることができるので他国でも身近に感じることができますが、当時は海を渡る技術だってそこまで良いものでは無かったでしょうし、ましてや日本は島で独立していたので、海を越えた先にまた別の国があって、しかも日本より優れた技術があるというなら、ぜひ行って見たいというあこがれの気持ちがあったのは当然っちゃ当然なのかもしれません。

我々の先祖が文化の向上のために、航海を恐れず唐まで行ったことを讃えるためにこの石碑が建てられたそうです。とても深い.......

そして、この場所は石碑があるだけではなく、海がきれいに見える絶景のスポットでもあります。波はとても穏やかで確かに停泊するにはちょうど良い場所だなって思います。このあたりを通たらぜひ、きれいな海を眺めに訪れてみてください。

魚津ヶ﨑公園を後にして、また国道にもどりひたすら進み続けること約30分で旧三井楽町(みいらく)に入りました。

カントリーサインは設置されていませんでしたが(厳密には、合併後に境界にトンネルが開通したので設置が無いというだけです。旧道にはしばらく残っていました、撤去された模様。)立派なモニュメントがお出迎え。

三井楽町に入ってすぐの所に、遣唐使船をモデルにした展望台がありました。この町も遣唐使寄港の町で、ここが日本最後の寄港の地となっています。

ちなみ、上五島にも似たようなものがありましたが、そちらより2倍くらいの大きさがありました。

遣唐使船がある公園からすぐの所に、道の駅があり一旦休憩がてら寄りました。まだ、疲れてはいませんでしたが、適度に休憩をして熱中症対策です。

道の駅では、例のごとく道の駅のマグネットと五島で作られたアイスが売ってたので買ってみました。五島と言えば椿油が有名ですが、その椿油が練り込まれたアイスらしいです。

食べた感想は想像していたミルクアイスとは全く違い、触感がミルクシャーベットみたいでわりとさっぱりした感じでした。おそらく、椿油が入ることで完全に固まり切らないんでしょう。これはこれでありだなって思いました。暑い中サイクリングしてきたので体にとても沁みました。

さて、三井楽町カントリーサインがある場所まであと少し、国道を前進していきます。道の駅を出て20分くらい、ついに三井楽町カントリーサインがある玉之浦町との境界へ、、

なっ、なんだいこのきれいな海は!!!

ここ、高浜海水浴場福江島で有名な海水浴場で、白い砂浜と青い海はまさに絵に描いたようなとてもきれいな海で、水もすごく透き通っていて、まさに美しいの一言。背景にある木々が生い茂るみどりと空の青がより海のブルーを際立たせています。

この日は、夏休みだからなのか海水浴をしている家族連れが多かったです。

この場所は、日本の道100選に選ばれており、この周辺でのドライブはさぞ気持ちい事でしょう。

(1枚目:国道384号三井楽町境 2枚目:国道384号三井楽町境)
そして、こちらが三井楽町玉之浦町カントリーサインです!!(高浜海水浴場のすぐそば)

もう、一か所しか残っていない貴重な三井楽町カントリーサイン。イラストは遣唐使船ですね。この船のマーク、まちの至る所で見かけたのでおそらくシンボルか何かなのでしょうかね?今回の旅で、ちゃんとたどり着ける不安でしたが、無事撮影できて満足。しいて言うなら、周りの草木を選定して欲しいな......

反対の玉之浦町ですが、カントリーサイン自体はここの他もう一か所に残っていますが、汚れていないきれいな状態の玉之浦町が撮影できるのはこちら側です。イラストは、玉之浦椿と大瀬崎灯台です。大瀬崎灯台景勝地として有名なので、行って見たかったのですが割と離れているので今回は断念。今度、別の機会に訪れたいところです。

ここまで、岐宿町三井楽町玉之浦町と順調に撮影が終わり残るは富江町のみ。ただし、岐宿町はきれいな状態のものを撮影したかったので、最初に通った場所とは別の箇所に行くことに。まぁ、どのみち福江に戻るには岐宿方面に戻るので横着せず寄ることに。

(県道27号 旧岐宿町境にて)

岐宿町に戻る道中、すごいなが~い坂道を経てもう一か所の玉之浦町カントリーサインを撮影。こちらはだいぶ汚れています。ただ、草木に覆われていないだけマシです。

ちなみ、反対の岐宿町は撤去されて支柱だけが残っています。なんで、片方だけ撤去されたのでしょう?不思議です......

でも、目的の岐宿町の境界はここではないのでご安心を。ここから、今まで登ってきた坂分、下りで一気に走り抜けて、ここからだいたい25分くらいで福江市の境まで来ました。

(県道27号 旧福江市境にて)

こちらが、もう一か所の岐宿町カントリーサインです。多少草木が被っていたり、汚れていたりしてますが、最初のやつよりは全然マシなので来てよかったなと。(まぁ、だいぶ草木を除けるのに格闘しましたが......)

一方、福江市側というと、やはりカントリーサインはありません。そのかわり、あの大きな標識を支える立派な支柱は残っています。これこそが、福江市にも大型イラスト標識があったという確固たる証拠になります。一体どんなイラストが描かれていたのでしょうか、気になって気になってしょうがないです。

岐宿町カントリーサインも満足いく写真が取れたので、最後の自治富江町へ。

富江町カントリーサインがある場所へまで直線距離はそこまでは無いのですが、山があるため迂回かつ峠道を通らないといけないため、だいたい自転車で1時間くらいかかりました。

(県道49号 旧福江市境にて)

こちらが、今回最後の自治体、富江町カントリーサインです!!

草木が若干被っているのが許しがたい......でも、まぁ有川より100倍マシだと思って妥協。富江町もここ一か所にしか残っていないので替えが効きませんので仕方ありませんね。

イラストは、五島珊瑚のイラストです。富江町付近には珊瑚が生息していて、珊瑚漁が盛んにおこなわれていた町だそう。そして、その珊瑚を加工する技術が現代まで受け継がれていて、宝石珊瑚の町として有名になったそう。

で、こちらのカントリーサインをよく見ると、いつも見る長崎県カントリーサインの水色ではなく青色が採用されています。これ、珊瑚が深海に生息しているので、わざと暗い青色を使っているものだと思われます。水色だとしても、違和感はありませんが、ちゃんと差別化しているあたり凄くこだわってデザインされているなって思います。

ちなみ、珊瑚の色は赤で合っています。自分は、珊瑚と言えば白の印象が強かったのですが(沖縄だと白い珊瑚が見られるのでその印象があった)、宝石として扱われる珊瑚は赤からピンク色のものが多いようです。なので、赤色で珊瑚が描かれているのは間違いではありません。(某西海大橋とか某若松大橋とは違います)

 

という訳で、無事撮影したいカントリーサインを撮影でき大満足です!!この後も何事も無く余裕を持って福江港に到着しました。到着は15時40分過ぎなので、約7時間のサイクリングでした。7時間もと思いますが、実際そこまで疲れは感じずむしろ風もあってちょうどいいサイクリング日和だったのですごく気持ちよかったです!

実際は、福江市街地には1時間前くらいについていましたが、お昼を食べたり資料館を見たりしていたのでこれくらいの時間になってしまいました。

このあと、長崎に戻る船が16時50分くらいに出航だったのでちょうどいい時間に戻ってきた感じです。

こちらが、帰りに乗った、九州商船の万葉。福江港と長崎港を約3時間で結ぶフェリーです。長崎に戻る方法としてはフェリーの他ジェットホイールもあるのですが、早い分高いので今回はフェリーを選択しました。

定刻通り、福江港を出発して、福江島にての活動は終了です。

 

続く

 

・おまけ

お昼は、福江港近くにあるつりバカ食堂さんにて刺身定食を頂きました。

やはり、お刺身は新鮮でとても美味しかったです!!特に、ブリの天身の部分が凄い脂で旨味の固まりって感じで良かったです!あと、あら汁も魚のだしがしっかり出ててよかったです。

そして、福江城あとにある、五島観光歴史資料館にも寄りました。こちらは、福江島の歴史についていろいろ展示していました。また、島の伝統的な凧であるばらもん凧を題材にした20分くらいの短い映画も上映していて、島のきれいな景色や歴史などが学べる面白い作品でした。独特な絵柄のばらもん凧について詳しく解説されており、勉強になりました。

あと本当であれば、図書館によって福江市カントリーサインについて調べたかったのですが、ちょうど休館日だったのでこちらはお預け状態.....

まぁ、逆を言えばまた福江島に行く理由があるってことで、大瀬崎灯台だったり島のシンボルである鬼岳訪問とかまだまだ行きたい場所があるので、また訪れようと思います!!

youmyan

6日間長距離遠征!!2025(中通島編)

こんばんは!youmyanでございます(^_^)

今年も、夏がやってきました。そしてyoumyanの夏は決まって、九州に5日間滞在して修行カントリーサイン撮影をするって言うのがお約束となっています。

さて、今年はどこに行ったかというと長崎県五島列島対馬で旅をすることにしました。ついに、島めぐりに目覚めたのかというとそいう訳では無く、もちろんカントリーサイン撮影が目的です(笑)

長崎県では大型イラスト標識が設置されているのですが、それはもちろん長崎県内である離島にも該当して、島内自治体の境界がある場所なら整備がされており、壱岐をはじめ、中通島福江島対馬の4島は平成の大合併前は自治体が複数あったためその名残で現在も残っています。

で、私は九州本土と壱岐自治体の長崎県タイプ標識は撮影済みだったのですが、中通島福江島対馬に残る標識は撮影に行けていなかったのでまとめてこの3島を渡ってしまおうと考えたわけです。当初は対馬だけ行こうと思ったのですが、時間的に五島列島も行けそうってことでフェリーやバスの時間とか現実的に可能か調べたら行けそうってことで、無理矢理日程を詰め込みました(笑)

ということで、今年の6日間の九州での遠征の模様を書いていこうと思います!

では早速書いていきます!

 

 

 

・1日目(2025年7月30日)

まずこの日は、中通島を目指します。

旅の起点はは成田空港7時発の福岡空港行きの飛行機に乗り九州を目指します。(もちろんpeachを使いました。)

予定では福岡空港に9時5分着で、博多駅9時32分発のみどり号で佐世保駅を目指す流れになっています。さらっと、書きましたが実はこの行程が一番シビアでまず、福岡空港から博多駅に行くためには地下鉄を使う必要があり博多駅のみどり号に乗るための時間を逆算すると福岡空港駅発9時19発の電車に乗らないといけない訳です。

という事は空港について、ターミナルから駅での乗り換えまで約10分度しかないという事なのです。しかも、空港の旅客ターミナルから地下鉄のホームまでって割と離れていて5分くらい歩かないといけないので、飛行機の到着が定刻通りじゃないと結構厳しい行程でした。

正直、ここまでギリギリになるなら行程を変えるべきか悩みましたが、五島列島にわたってかつカントリーサイン撮影をするにはこの行程しか取れなったので、飛行機が定刻通りに着くことに賭けることに.......

で、結局どうなったかという、ちゃんと乗る予定だったみどり号に乗ることができました(ホッ) ちゃんと定刻よりも早い時間に福岡空港に到着して、10分くらい余裕をもって博多駅に着くことができました。実は、成田空港の出発は10分くらい遅れて(どっかの誰かが荷物の確認とかわけわからんことで出発ができなったみたいです。マジでキレそうだった.......)どうなるかヒヤヒヤでしたが、遅れることなく福岡空港に着いたので良かったです。ピーチ航空には感謝ですよ、本当に。

ちなみ、成田-福岡間でピーチ航空を何回も使っているのですが、到着が遅れるってことは今のところ出くわして無いですね。出発が10分遅れとかありますが、到着が遅れるって言うのは今までになく、むしろ定刻より早めの到着が多い印象です。(それも賭けることの判断材料になったのですが)

無事、みどり号に乗ることができ、予定通り佐世保駅(佐世保港)に到着しました。

佐世保港に来るのは2度目ですが、レンガ調の港で異国情緒あふれる港で個人的にはお気に入りですね。この日は天気が良く絶好のお出かけ日和、海も穏やかで写真映えがします。

佐世保港に到着して、佐世保バーガーでも食べる時間があるかなぁって思っていましたが、意外と時間が無くあっというまに乗船時間になりました。

今回、中通島に向かうために乗ったのは九州商船のシーエンジェル(海の天使)。佐世保港有川港を約1時間で結ぶ航路になっています。

船内のイスには、五島列島の名産であるツバキのイラストがふんだんに散りばめられています。ツバキのイラストをみると、ああ五島列島に行くんだなぁって感じがしてgoodです!

有川港には定刻通りだいたい1時間で到着。長崎県の未訪問自治体である新上五島町についに上陸です!!港に着くとクジラとイルカのモニュメントがお出迎え。有川港捕鯨を行っていたことに由来しているそう。イルカは有川近郊でよく見られることから町のシンボルになっているようです。個人的には有川町と言えばイルカの印象が強いですね(理由は後述しますね)

有川港についてのんびり港内を見て回りたいところですが、予定が迫っているので名産の有川うどんを買って目的地まで向かいます。

まちを歩いていると至る所にイルカを見かけます。やっぱり、イルカはかわいいから観光資源としてはもってこいのかもしれませんね。

(国道384号有川町境にて)

有川港から歩くこと約30分、最初の目的地である旧新魚目町有川町の境に到着。新上五島町はかつて、有川町新魚目町上五島町若松町奈良尾町の5自治体に分かれており、現在は1島1町ですがこうしてちゃんと境界を示す標識が残っています!!

しかも、ちゃんと長崎県の独特の水色、赤、緑の大型イラスト標識があるっていうのはうれしいものです。しかも、新上五島町では県管轄の道路上の旧行政界にはすべて現存しています。おそらく、合併後撤去が一切なかった長崎県唯一の自治体では無いでしょうか?

今回の旅初のカントリーサインは旧新魚目町。イラストはまちの名産であるトビウオ(のキャラクターとっぴー)とツバキが描かれています。

そして、反対側の有川町ですがトンネルを抜けた先に設置されています。ただ、ストビューで事前に確認すると草木に覆われてしまっていたのでどうなってるか心配でしたが、、

(国道384号新魚目町境にて)

あっ、、、、、ダメだった......

草木に覆われてきれいに撮影できず..... 何とか草木を除けようと頑張ったのですが、標識自体が思っているより高い位置にあって草木に手が届かないのと、絡まってる木の枝に棘が生えているタイプの木で直接触れないというまさにどうしようもない状態で泣く泣く撮影......

一応、有川町カントリーサインは奈良尾側にもあるのですが、イラストが色あせてしまってほぼ真っ白というこちらより最悪なので、このカントリーサインに絡まってる草木が除去されることが望ましいですね。是非、板面がきれいに見れるようにしていただきたいものです。

イラストは、先ほど上げたマンホールの写真に描かれたものと同じです。どうやら有川町時代のシンボルマークだったようです。

長崎県のイラスト標識は基本は水色、赤、緑で構成されているのに対して、有川町は紫という例外の色を使っていて文字通り異色感が凄いです。ちなみ、紫をイラストに使った自治体がもう一か所あって小佐々町あじさいの花部分に紫が使われています。

有川町のイラストが独特なのは分かったのですが、有川町のイラストより独特のイラストを採用している自治体が中通島にはあるのです。それが次に向かう場所にあります。

新魚目町と旧有川町の境界付近にある浦浜バス停からバスに乗って白魚峠というバス停に向かいます。

(1枚目:国道384号若松町境 2枚目:国道384号奈良尾町境)

浦浜バス停から約1時間で白魚峠バス停に着きます。この場所は、旧若松町奈良尾町の境界となっています。もちろんちゃんとカントリーサインが残っていました。

イラストを見てみましょう。

まず、奈良尾町は、えっ黒色使ってるじゃん....... 長崎県のイラスト標識は基本的に黒色を使わないで特産品やシンボルを表しているのに、奈良尾町は堂々と黒色の線を使っちゃっているよ..... 先ほどの有川町の紫より独特です。

ちなみにイラストは奈良尾町のキャラクターであるナッシーくんが描かれています。名産品のアジのキャラクターだそう。

次に若松町、こちらはちゃんと水色、赤、緑と長崎県のイラスト標識のルールに従ってイラストが描かれています。イラストは若松島と若松大橋です。立派なトラス橋なのですが、実際の橋の色は赤色では無く真っ白です。

無事、奈良尾町若松町カントリーサインを撮影でき、最後の目的地である上五島町の境界まで戻ります。ちょうど青方港方面に戻るバスが来たのでそれに乗って上五島町を目指します。

(1枚目:国道384号若松町境 2枚目:国道384号上五島町境)

白魚峠からバスで20分くらいで旧若松町と旧上五島町の境に戻ってきます。

上五島町を撮影して、新上五島町の旧自治体5町のカントリーサインをコンプリート!!意外とあっさりと制覇してしまいました。

上五島町のイラストは遣唐使の寄港の地であるため、遣唐使船のイラストが採用されているようです。

実際、まちには遣唐使のゆかりの地のモニュメントや遣唐使公園なるものがあって遣唐使船を再現した遊具があったりして、遣唐使が寄港した重要なまちだったことが伺えます。

これにて、本日の活動は終わりです。この日は青方港付近の民宿に泊まりました。さすがにこの時間から福江島に行く手段が無かったので、早朝の船で福江島に向かうことに。

続く

 

・おまけ

この日の夕食は青方のまちにある居酒屋「優心」さんでいただきました。上五島付近で取れた新鮮な刺身と、アジのすり身揚げ、そして五島うどんの地獄炊きを頂きました。

まず、お刺身ですが、やはり新鮮であるためすごく美味しかったです!!触感がコリコリしていて歯ごたえがあってよかったです。

アジのすり身揚げですが、ようはさつま揚げに近いのですがこちらも弾力が凄くて食べ応えが凄いです。ビールとの相性もバッチリ!

そして、うどん、見た目はそうめんと変わらないのですが味はちゃんとうどんでした。本当であればお湯につけておくとふやけてぶよぶよになってしまう麺ですが、五島うどんは鍋に入れっぱなしでも伸びないのが特徴で、最後までしっかりコシのある麺を頂くことができました。もう大満足です!!

 

youmyan

滋賀県内、はじめて散策したよ

こんばんは!youmyanでございます(^_^)!

久しぶりにブログ記事を書く気がしますが、私は元気です!

さて、今回は7月末に鳥人間コンテストを見に行くために滋賀県を1泊2日で訪問した内容について書いていきたいと思います!(長くなって今うので鳥人間コンテストについては省略させていただきます。でも、鳥人間コンテスト生で見るとすごく感動するものがありました。すごかったです!!)

滋賀県は2回ほど宿泊したことがあるのですが、泊まるためだけに寄っただけでカントリーサイン撮影はもちろん観光すらしたことが無かった県だったので、今回は鳥人間コンテストを見るついでに何か所かカントリーサイン撮影をしてきたので紹介したいと思います~

(1枚目:県道157号 守山市境 2枚目:県道157号 栗東市境)
まずは、守山駅から歩いて、栗東市守山市カントリーサインを撮影。

私の滋賀県での初カントリーサイン撮影は栗東市でした~!

滋賀県カントリーサインは基本的に章入りタイプが多く、全市町で章入り標識を整備している数少ない県です。

なので、滋賀県内の章入りで集めようとしてもそこまで辺鄙なとことに行かなくてもちゃんと撮影できるで、車を使わない人からするととてもありがたいです。(まぁ、カラーとか縁が丸いタイプとかで揃えだすと車が無いと厳しいですが)

こちらの栗東市ですが市の部分が上から張り付けられた跡がありますが、これは2001年までは栗東町だったので市制化した際に訂正されたものです。なので、この章入り標識は2001年以前からあるという事が伺え、滋賀県内のカントリーサインの章入り化がいつに行われたかが分かる大事な指標です。実は、滋賀県がいつ頃から章入り標識を設置していたのかよくわかっていないので割と重要な手がかりなのです。

一方、反対側の守山市ですがこちらは枠付きタイプというこれも珍しいものになります。県内で他に枠付きのポジのカントリーサインってあったかパッと思いつきませんが、わりと珍しい方なのではないでしょうか?

 

(1枚目:県道158号 野洲市境 2枚目:県道158号 近江八幡市境)

続いて、守山駅から篠原駅に移動し、駅から徒歩で境界に向かいました。歩いて数分で野洲市近江八幡市の境に到着です。こちらもちゃんと章入りです。

野洲市平成の大合併で誕生した市で市章もその時制定され、最近よく見られるカラータイプのものなのですが残念ながら野洲市カントリーサインはみんなモノクロタイプしか設置されていません。滋賀県内だと直轄国道でわりとカラータイプを見かけるのですが、なぜか国道8号野洲市はモノクロなのですよね...... どういう基準で設置しているのか。

 

(1枚目:国道8号 彦根市境 2枚目:国道8号 米原市境)

続いて、米原駅に戻りここからあるいて国道8号彦根市米原市を撮影。

今までの人生で、米原駅(乗り換えのため)と南彦根駅(宿泊のため)には降りた事あったのですが、ようやくこの2自治体のカントリーサインの撮影ができました。

こちらのカントリーサイン直轄国道でよくみられるつり下げタイプになっています。

そして、滋賀県直轄国道カントリーサインと言えば、標識の角が丸くなっているのが特徴です。この角が丸くなっている標識って最近割と高速道路ではよく見かけますが、一般道だと近畿地方で見かけるかなという印象です。カントリーサインに限って言えば、滋賀県奈良県和歌山県で見ることができますが、滋賀県のように直轄国道なら必ずあるという法則は無いのでやはりこの角が取れたカントリーサイン滋賀県の印象が強いです。

ちなみ、この角丸タイプのカントリーサイン滋賀県内の直轄国道にはあると言いましたが、上の写真の通り米原市東近江市は何故か通常の角があるものになっていまして、合併で標識の更新があった時に通常のものになってしまったようです。

一応、国道8号、21号の旧米原町、旧近江町、旧山東町(現在米原市)、国道8号五個荘町(現在東近江市)は角丸タイプだったので、直轄国道では角丸タイプのカントリーサインで統一されていたようです。

 

(1枚目:国道306号 彦根市境 2枚目:国道306号 多賀町境)

そして、この日最後の撮影自治体は多賀町でした。多賀町は割と章入りの印象が強いのですが、実は英無文字のみタイプが残っているらしいです。これはまた別の機会に撮影に行きたいです。

 

(1枚目:国道1号 彦根市境 2枚目:国道1号 多賀町境)

翌日の朝、鳥人間コンテストを見に行く前、時間があったので大津市草津市も撮影。こちらも直轄国道ある国道1号なので当然標識の角が丸いタイプ。加えて、国道1号沿線の章はネガタイプを採用していて、ポジタイプが主流な滋賀県内だとレア度は高めだと思います。

これにて、今回の旅では新規で9自治体のカントリーサインを撮影できて満足です(^_^)

滋賀県内は19自治体あるので、残り10自治体近い内撮影に行けたらなと思います。

 

・おまけ

今回、滋賀県内を初めて散策するってことで、滋賀県に行ったら行って見たいっていうお店ががありまして、彦根市にあります「ハンバーグレストランはらぺこキャット」さんがずっと気になっていたので行ってきました~

いつも、お世話になっているカントリーサイン撮影仲間の方がTwitter(X)によくこのお店のステーキの写真を上げて飯テロしていたのでずっと気になっておりようやく訪問することができました(笑)

今回食べたのは、期間限定のサルサソースチーズハンバーグ(+パイン)とチキンステーキという欲張りセット。

味はというと、もう文句なしの美味しさでした!!まず、ハンバーグの方は弾力が凄くてとてもジューシーでした。で、季節限定のサルサソースの酸味がハンバーグをさっぱりと食べやすくしていてとても良かったです。加えて、トッピングでパインも挟んでいたのでサルサのちょっと辛い味と、パインの甘さが合わさってすごく相性が良かったですね。そして、チキンの方も皮はぱりぱりなんだけど肉の方は凄くジューシーで上手く調理されているなって思いました。量も、かなりのボリュームですごく満足。

そして、日替わりのデザートも頼んだのですが、まぁなんともかわいいねこちゃんのシルエットが入ったブラウニーが来たではありませんか!お店の名前にも入っている通りねこがコンセプトのお店のようで、店内至る所にねこちゃんの写真やイラストが飾ってあってすごくかわいいお店だなって思いました。

ブラウニーだけではなく、載せてあるお皿にもねこちゃんが描かれていて、味だけではなく見た目でもすごく満足できるメニューでした。(もちろん、ブラウニーもちょうど良い甘さで美味しかった!!)

このお店の至る所に描かれていたねこちゃんのイラストがかわいかったので、グッズも色々と買ってましました(笑)おまけで、ステッカー多めにもらっちゃいました!

駅からちょっと離れて遠かったですが、来てよかったと思えるお店でした!もう、食べた後の満足感と幸福感はここ最近の中でトップクラスで大満足です!また、滋賀県に行く際には寄りたいなと思います~

youmyan 

 

 

 

壱岐島散策

こんばんは!youmyanでございます(^_^)

久びりの更新ですが、今回は昨年の11月に行ってきた壱岐島での散策についてを書いていこうと思います。

 

今回、なぜに壱岐島に行ったかというと、実は壱岐島にも長崎県で設置されている独自のイラスト標識が設置されていて、今でこそ一島一市ですが、かつては4自治体に分かれており、現在も残っているとのことで、是非撮影したく行ってきました。

(博多港ジェットフォイルヴィーナス号)

今回は日帰りで博多から壱岐に向かうため、始発のジェットフォイルに乗って向かいました。実は、船という乗り物に乗るのが初めてだったので酔わないかドキドキの乗船でした。いざ、乗ってみると最初はゆらゆらと揺れててこれ、大丈夫かなぁと感じましたが、出発するとそこまで揺れは気にならずに乗ることができました。今回乗った船がジェットフォイルだったのでそこまで気にならなったのかなと。

博多港を出発して1時間くらいで壱峻島が見えてきました。

島が見え始めて10分くらいで郷ノ浦港に到着しました。思ってたより快適な移動であっという間に感じました。この日は休日っていうのもあって割と人は多かったです。

さて、今回は島を巡るのに、レンタサイクル(電動自転車)を使用しました。

港町の雰囲気があってとても良い道。

凄い急な坂道を上りきると国道382号に出ます。この国道は佐賀県唐津市から伸びており、壱岐を経由して対馬まで伸びています。とは言え、島ごとでぶつ切りになっており、海の区間は道が無いため海上国道となっています。

まず最初に向かったのは、国道382号の旧郷ノ浦町境と旧芦辺町境。郷ノ浦港からだいたい20分くらいで到着しました。

(1枚目:国道382号郷ノ浦町境 2枚目:国道382号芦辺町境)

壱岐市が誕生してから20年が経ちますが、境界標識がちゃんと残っています。長崎県の九州本土の旧自治体の標識は佐世保市を除くと撤去されてる場合がほとんどですが、壱岐島をはじめ、対馬中通島福江島は残っている場所もそれなりにあって巡りがいがあります。

今回、出発が博多港だったのでずっと福岡県にいる感覚でしたが、この標識を見た瞬間、ああ長崎県にいるんだなって実感しました。この赤と水色と緑の独特のイラスト標識があるってことは紛れもなく無く長崎県なんだなって。

さて、標識を詳しく見てみると、芦辺町は町の花のツバキ、郷ノ浦町は猿岩ですね。

芦辺町のイラスト標識はこの一か所しか残っていなくて(そもそも、この地点以外に設置されていたか不明)撤去されていないか不安でしたが、無事残ってくれていました。

一方で、郷ノ浦町方は草木に被ってきれいに撮れず。。でも、ご安心、郷ノ浦町は他の地点でも残っているため他できれいに撮影できるのです!!

ということで、次の目的地へ向かいます。

芦辺町のマンホールもツバキのイラストです。

先ほどの境界から進むこと10分くらいで次の境界に到着しました。芦辺町国道382号をそこまで通らないのですぐに次の町に入ります。

(国道382号芦辺町境にて)

壱岐島3つ目の町は勝本町。島の一番 北の町です。イラストはイルカです。イルカパークがあってイルカの町となっています。

ここの境界の芦辺町の標識は見当たりませんが、撤去されてしまったのでしょうかね。

(県道174号 旧芦辺町境にて)

そして、勝本町はもう一か所イラスト標識がありまして、先ほどの国道の境界から先に進んだ先にある県道の旧芦辺町境に残っています。こちらも芦辺町の標識は見当たりませんでした。壱峻島ではイラスト標識が残っていても片側の物しかないって言うケースが多く、撤去と残す基準が良く分からない自治体でもあります。

幸い、芦辺町のイラスト標識が一か所残っていただけでも救いです。

これで郷ノ浦から一番遠い勝本町を撮影し終えたので、今度は旧石田町に向けて引き返すのですが、道中に郷ノ浦町の標識に描かれている猿岩があるとのことで寄り道をしてみることに。

猿岩に向かう道中、イルカがいっぱい。やっぱりイルカの町だ。先ほどちらっと言ったイルカパークですが、流石に今回は遠くて断念してしまいましたが、いずれ行って見たいものです。

(県道59号 旧勝本町境)

そうこうしているうちに、郷ノ浦町に戻ってきました。こちらの標識のコンディションはバッチリ!!状態もとても良いです。実はこの地点では、工事があって一度、郷ノ浦町の標識が撤去されてしまいましたが、まさかの復活を遂げた奇跡の標識です。因み勝本町側の標識は工事前から存在していなかったので当然、設置されていません。この差は一体なんなんでしょうねぇ。

ここから自転車を漕ぎ続ける事10分くらいで、猿岩に到着。

猿岩が見える場所に着くと、断崖絶壁で遥か遠くの海が見渡せる景色の良い場所でした。そして、お目当ての猿岩ですが、想像していたよりちゃんと猿の顔をしていて驚きました。すべて、自然の力で出来上がったものだと思いますが、ここまで猿の顔に見えるって言うのは奇跡であり、自然の力の凄さを改めて実感しました。これは町のシンボルのになるのも納得です。

因みに別の角度から見るとこんな感じです。どうやら、一定の方向からしか猿には見えないようです。

猿岩も見れて満足した私は、次の目的地である石田町に向けて自転車を漕ぎ続けます。

壱岐島は海と山が結構近い距離であって、佐世保とかもこんな感じだったよなと思うと、やっぱり同じ県なんだと実感します。

石田町に向かう道中、壱岐国の一宮神社である天手長男神社にも寄って、旅の無事を祈ってきました。山の中にあってすごく雰囲気のある神社で、一宮から想像すると小さく感じられますが、今回の旅では何事も無く無事終えられたので、ちゃんと効果は発揮してくれました(笑)

神社でお参りを済ませたら、また自転車に乗って進み続けます。ここはまだ旧郷ノ浦町域なので、旧石田町に向かって進みます。神社からだいたい20分くらいで旧石田町と旧郷ノ浦町の境界に着きました。

(1枚目:国道382号郷ノ浦町境 2枚目:国道382号石田町境)

石田町もちゃんと残っていました。これで壱岐市の旧自治体の標識撮影はコンプリートです!!この境界は両方に設置がされています。

石田町のイラストはマリンスポーツ(ウィンドサーフィン)と町の木の松ですね。

そういえば何故か、石田町の標識だけ文字のフォントが違うのですよねぇ。あと、イラストの枠線も他の自治体は緑なのに、石田町だけ赤枠だし、なぜなのでしょうね。

ともあれ、石田町の標識も無事撮影できたのですが、まだ時間に余裕がありそうだったので、石田町の他の地点の標識も撮影に向かいます。

(1枚目:市道芦辺町境 2枚目:市道石田町境)

こちらの写真は、先ほどの国道から少し離れた場所にある市道の旧行政界。なんと、文字のみでありますが、石田町芦辺町の境標識が残っています。ストリートビューを見ると一回新調された形跡があって、よく見るとピカピカです。(厳密にこれがカントリーサインと呼べるが微妙ですが、形式は更新前と同じ)

地味に壱岐島の町境標識はイラスト標識しか画像を見た事なかったので文字のみタイプがあった貴重な証拠ですね。

ただ、残念なのが標識の向きが逆向きになっていることですね。風とかで向きが回っちゃったのかな?

(県道23号  旧芦辺町境にて)

そして、こちらは市道から少し行った場所にある県道に設置されている石田町の標識。イラストの枠がだいぶ剥げて残念です。イラスト自体はきれいなままなのに枠線だけなぜ剝げちゃうのでしょうね。

さて、壱岐島に残ってるカントリーサインは残り一か所なのですが、この場所の近くに何やら遺跡があって、観光スポットになってるとのことで寄り道を。

ここは原の辻遺跡弥生時代壱岐の島で繁栄した集落の跡らしいです。国の特別史跡に指定されており、発掘調査で、日本最古の船着き場の跡や当時の「一支国」が交易と交流によって栄えていたことを示す住居跡などが確認されており、遺跡からは交易によってもたらされた様々な地域の土器や中国の貨幣や三翼鏃(さんよくぞく)をはじめ、日本唯一の人面石やココヤシで作った笛等が発見されている、貴重な遺跡だそう。この場所は、当時の集落を再現したもので、歴史の教科書で出て来るような、竪穴住居や高床式建物とかがどのサイズだったかよくわかります。竪穴住居は何か所かありましたが、現在でいう来賓館なのがあって、交易で来た外の人を迎える専用の部屋があって、当時の大陸との交流があったんだろうなって言うのが伺えます。

近くには遺跡の解説をした施設がありますが、今回は時間の関係でパスしてしまったので、また壱岐を訪れた際には行って見たいものです。

一通り、遺跡を見終え、最後の目的地である石田町の標識が設置されてる場所へ。

(県道173号 旧郷ノ浦町境にて)

こちらの石田町の標識も立派なイラストタイプの標識。残念ながら、郷ノ浦町側はありませんでした。本当に、片側だけ残すのは謎です。

これにて、壱峻島に残ってるカントリーサインはすべて撮影完了です!!現在、島には行政界はありませんが、こうして旧自治体の標識が残っているのはうれしいものです。

そして、ここから30分くらいで郷ノ浦港に戻り、自転車を返却しました。だいたい、4時間半で回りたいところは回れたので満足です。

これにて壱岐での散策は無事終了です。この後は16時55分のジェットフォイル号で博多港に戻ります。

帰りは、ヴィーナス2でした。2号目という意味での2かなと思っていましたが内装もヴィーナスとちょっと違っていていて、そもそも、機種が違うみたいですね。まぁ、乗り心地は特に変わりなく1時間くらいで博多港に着きました。

博多港には18時頃に到着しましたが、冬なのですっかり暗くなり、イルミネーションのきれいな明かりが迎えてくれました。この後、福岡空港に行ってその日に成田空港に戻ってこれたので、本当に行きやすい離島だなと思いました。土日だけでで壱岐に行けることが分かったので、また機会があれば行って、今度はイルカパークとかにも足を延ばしたいなと思いますた。とても、満足できる旅でした!!

おわり

 

・おまけ

郷ノ浦港近くの歩道にこんなものが。猿岩を模したモニュメントがあってかわいいなって撮影。

今回のお昼は、郷ノ浦港近くの「ぽけっと」さんという喫茶店でオムライスを頂きました。オムライスに掛かってるデミグラスソースは壱岐牛を使っており、コクのある美味しいソースと卵が合ってとても美味しかったです。やっぱり、喫茶店のオムライスは自分で作るのと違っててよても良いものです(^_^)

壱岐市は一島一市なので行政界が陸上に無いのでカントリーサインは無いため、代わりに壱岐市の市章が入ったものを撮影しました。ただ、地味に市章が入ったものが見当たらないのがネック。

およよ、君は壱岐のマンホールじゃないね?越境してきたな。

youmyan

設置された県道196号の矢祭町と塙町の標識

こんにちは!youmyanでございます(^_^)

 

先日、所用で福島県に行く機会があって、県道196号の塙町・矢祭町境の標識が設置されたか確認(今までは設置されていない)しに行ったら、ちゃんと設置されていたので紹介します。

今までは、このような地面に境界の標記があったのですが、

このような文字のみのシンプルな標識が設置されていました。。。

余談ですが、この周辺は文字のみとマーク入りの標識が入り乱れていますが、なぜか矢祭町のマーク入りは設置されません。少し前には矢祭町の隣の塙町で標識の更新された際は2か所ほどマーク入りになったのですが、矢祭町の標識が更新されると決まって英文字なしの文字のみタイプです。。

マーク入りと無し、そして英入りと英無しの標識の設置基準はどのように分けているのか気になるところです。

因みこれが、割と最近更新された塙町の標識です。(撮影日は2023年の3月、場所は国道289号鮫川村境)

 

youmyan

5日間長距離遠征!!2024追憶旅!(観光編)

 

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上の九州旅2024の続きです。こちらは主に観光についての話です。

今回は2日目に行った場所を抜粋して書いていきます。

標識編の記事で書いた通り、この日は観光をメインで散策を行いました。

朝倉市筑前町の標識を撮影して甘木駅から舞台は佐賀県に移動して、肥前鹿島駅に行きました。

(肥前鹿島駅にて)

実は肥前鹿島駅は2019年の佐賀遠征の際にも来ていて、ああこんな感じだったなって懐かしくなりました。確か駅前の観光協会で自転車を借りて散策した記憶があるのですが前にあった観光協会の建物が無くなってプレハブの建物に変わっていました。

この日到着して、駅前なんかすっきりしたな位に思っていましたが、ストリートビューを見返すとビルごと無くなっていたのですね。

さて、肥前鹿島駅に来た目的は嬉野温泉に向かうためです。本当なら佐世保線経由して武雄温泉駅から嬉野温泉駅までバスか新幹線で行ければ良かったのですが、ちょうどつなぎが悪くてどうするか考えた時に、前に嬉野温泉に向かった時は鹿島市からバスで行ったことを思い出して、せっかくだし久しぶりに鹿島市に降りてみるかってことで来たわけです。なので、このまま嬉野温泉に向かっても良かったのですが、そういえば以前に鹿島市に来たときに祐徳稲荷神社は行けなかったなと思いだし、観光案内所で聞くとどうやら嬉野温泉に行くバスは祐徳稲荷神社を経由するものがあるらしいのでせっかくなので行って見ることにしました。

駅からバスで数十分、祐徳稲荷神社のバスセンターに着きました。ここから参道を歩いて行くのですが大きな鳥居がお迎えです。そして参道に並ぶ出店はまさに神社っていう雰囲気が漂ってきます。

境内に着くとすごく大きくて立派な社殿がお出迎えしてくれます。神社ってこんなに派手派手だっけって思う位に装飾が細かいです。祐徳稲荷神社は日本三大稲荷のひとつらしく(所説あり)鹿島市を代表する観光名所となっています。
実はこの社殿は本殿ではなくご本殿はこの山の上にあるとのことで上まで登ってみることに。

階段にはたくさんの風鈴が飾られておりいい音色を鳴らしていました。よく見ると稲荷にちなんで狐の風鈴とかもあってかわいかったです。どうやら、下のほうで販売してて願いごとを書いて飾る絵馬見たな感じらしいです。

そして本殿がある場所まで登ってきましたが結構高いです。よくこんなところに建物を建てたなぁ。本殿では旅の安全を祈願してバス停まで戻ってきました。たまにはこういうのんびりとした旅もいいものです。

そして、先ほど降りたバス停に戻り、今度は嬉野温泉行きのバスに乗ります。この祐徳稲荷神社嬉野温泉を結ぶ路線は実は乗ったことあるらしくて、前回嬉野温泉に行った時もこの路線を使っていたようです。

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こちらの記事を見ると肥前浜駅から最寄りのバス停までダッシュしたとか書いてありますが、どうやらこのバスは祐徳稲荷神社から来ていたものらしい。見覚えのある景色を通って約40分くらいで嬉野温泉の街に着きました。

今回、嬉野温泉に来た目的は温泉に入って観光する事と険道6号の県境にある東彼杵町の標識の再撮影をしようと思っていました。以前にも撮影をしていますが、2020年に行ったときは草木に覆われて良い状態で撮影できなく草木が払われたたらまた行こうかなと思っており、ストリートビューを見ると最近やっとまともに撮影できる状態になっていたので今回も前回同様に自転車を借りて撮影に行こうかなと思っていたのですが、残念ながらこの日は天気が良くなかったので断念。

なので、のんびり街を散策する予定に切り替えました。

まず、向かったのは 宗庵よこ長 さんという食事処に向かいました。

(よこ長さんで頂いた湯豆腐定食)

こちらでいただくのは嬉野温泉名物の湯豆腐です。前回に嬉野温泉に行ったときに食べた湯豆腐が忘れられなくて、前回とは別のお店ですがまた湯豆腐を食べに来てしまいました。

嬉野温泉の湯豆腐は温泉の成分で溶けだしてふわふわとした独特の触感になるのが特徴のようです。こちらのよこ長さんでは温泉湯豆腐にあう豆腐を一丁一丁こだわって作っています。味の方は温泉湯豆腐の独特のふわふわとした触感に塩味の聞いた豆腐がとてもおいしかったです。たれ(ポン酢かな)と薬味が別途ついていてこれを入れて食べるのがおすすめらしいのですが、たれを入れなくても大豆の旨味が染み出ており、豆腐にしっかりこだわっているのがよくわかります。もちろん、たれを入れて食べても美味です!その他のの小鉢もしっかり食べ応えがあって大満足です。

食事を終え、満腹になった私が次に向かったのは温泉です。今回はシーボルトの湯に行きました。

(レトロな洋館風のシーボルトの湯)

前回は旅館の日帰り温泉に入りましたがこの日はやっていなかったので、こちらの公衆浴場のシーボルトの湯に行きました。

見た目は一昔の洋風のレトロな感じでおしゃれな作りです。中はとてもきれいで、改装とかしたのかなと思っていたら、実はできたのが2010年と比較的新しいらしい。てっきり、昭和の頃からあるのかと思っていましたが観光客向けに作られたようです。泉質は美肌の湯と言われるだけあってすごくとろとろとした感じでいいお湯でした。

また、嬉野温泉には来たいなぁ。

のんびり街散策を終え、向かったのは嬉野温泉駅。温泉街からはちょっと離れているのですが、最近できた西九州新幹線の駅です。

前に嬉野市に来たときは、工事中でしたがこのように立派な駅舎が完成していました。しばらく前まで嬉野市は鉄道駅が通っていなくて、嬉野温泉に公共交通機関で行くにはバスに乗り換えないと行けなくて少々不便でしたが、武雄温泉駅長崎駅を結ぶ西九州新幹線の開通でついに嬉野市にも鉄道駅ができて来やすい場所になったなって感じです。現在は武雄温泉駅で在来線特急に乗り換える形で博多まで出ていますが、今後は乗り換えなしで福岡県の方に行ける予定らしいですが、佐賀県区間の整備が未定なので西九州新幹線の完全体での開通はまだ先になりそうです。

駅の中はこんな感じです。この駅は在来線が通っていないので完全に新幹線専用の駅となっています。

新幹線のホームはこんな感じです。ホームは新幹線の高架に合わせて高いところに設置されていて、小窓から外を見ることができます。こちらは街とは反対側なので山と畑に囲まれたのどかな景色を見ることができます。新幹線の駅と言ったら建物が並んだ風景を思い浮かべますが、こちらは自然が残っていて不思議な感じがします。

そして、こちらが西九州新幹線のかもめ号です。形式はN700Sを採用しており、JR九州のグループカラーである赤色を基調とした新幹線になっています。N700シリーズというと白に青色のラインといった印象が強く、西九州新幹線の車両デザインが公開されたとき、すごく斬新だなっていう印象があって、N700系統でありながらカラーリングが変わるだけでこんなにも印象が変わるんだなって驚いたものです。

私自身、特段鉄道が好きなわけでは無いのですが、この西九州新幹線の車両のデザインは気に入って、是非現地で見に行って乗ってみたいなと思っていたので念願が叶いました。この路線はトンネル区間が多いのですがその分、佐賀県から長崎・諫早方面にショートカットしてくれるので便利だなと思いました。今回は諫早駅までしか乗っていませんが、佐賀県から諫早駅までたったの20分くらいで到着することに感動です。前は、佐世保線佐世保市の方を迂回していかなきゃ行けなかったのでこの路線は便利なものです。

諫早駅は4年前にも来ましたが、駅舎はほぼ完成していてあとは新幹線を共用するのを待つ感じでしたが、駅前ロータリーはまだ工事の真っ最中だったので駅前の印象はだいぶ違う感じでした。

さて、この日の最終目的地は諫早市ではちょっとした観光スポットに行くことに。この場所までは長崎本線で向かうのですが、佐賀県方面は本数が少なく時間が空いていたので適当に駅周辺で過ごして目的地である小長井駅まで行きました。

この駅は旧小長井町にある駅で写真の通り海に面した駅となっており絶景です。有明海の奥に浮かぶのは島原半島と雲が被っていますが雲仙岳を見ることできます。

これだけでも十分に駅を下車する価値がありますが、私の目的地は別にあります。

国道207号沿いを走っていると謎の大きなメロンやイチゴが現れます。これはバス停の待ち合スペースになっていて、小長井町域の国道で何か所も見ることができます。

どうやら、平成の初期ごろの長崎旅博覧会の際に整備設置されたみたいでいろんな種類のフルーツをモチーフにしたバス停があります。

最近ではインスタ映えで多くの観光客が訪れているらしく諫早市を代表する観光スポットになっているらしい。以前、同じ標識撮影仲間の方がブログにこのバス停のことを書いていて行って見たいなと思っていたのでちょうどいい機会だったので来てみました。

実際に現地で見てみるとまず、インパクトが凄いです。各バス停ごと装飾が凝っておりヘタの部分や断面の色塗り分けが各フルーツごとに違ったりととても面白いです。特にメロンのバス停は海に面しているので撮影スポットとしていい場所にあるなと思いました。

因みにこのフルーツバス停は全5種類のフルーツバス停が採用されており写真の順に行くとメロン、イチゴ、スイカ、トマト、ミカンとバリエーションも豊富です。トマトってフルーツなのかなぁって思ったのですが、よくよく考えてみたらミカン以外、くだものか野菜か微妙な感じなものばかり採用されていてトマトが仲間外れなんじゃなくて、ミカンが仲間外れという謎な現象が起きています。

ともあれ、面白いものが見れて満足です。因みに、このイチゴのバス停の裏側は花畑になっていて春は菜の花、夏は向日葵、秋はコスモスが咲いていてきれいらしいです。季節を変えて来てみるのもいいかもしれませんね。

という事でこの日の観光はすべて終わりです。

この日は観光しかしてませんが、やっぱりこうしたのんびりした旅もいいものです。九州は何回か行っていますがまだまだ行って見たい場所、撮影したい標識がたくさんあるので時間を見繕ってまた行きたいところです。

 

youmyan

5日間長距離遠征!!2024追憶旅!(標識編後編)

(1枚目:国道34号 江北町境 2枚目:国道34号 大町町境)

九州遠征の続きです。

4日目は多分この旅で一番標識を撮影する時間を割きました。ただ、ずっと動きっぱなしで忙しかった記憶がありますが、結構充実していました。観光ももちろん楽しいのですが、やっぱりいかに標識を撮影するかが結構気になっちゃって、あんまり撮影できないと損した気になっちゃう体質になっちゃたのでこことぞばかりに詰め込んじゃいました(笑)

まずは、佐賀県江北駅で下車して江北町と大町町を撮影しました。2019年の九州初上陸の時にこの2町も撮影予定だったのですが、ちょうど川の氾濫とかで撮影できなくなってしまい、2020年、2022年と鉄道で何回か通っているものの、今までずるずる撮影できず4年も後回しにしてやっと撮影してきました。

どちらも章入りですが、千葉県に設置されている標識のように左上に小さくマークが載っているタイプです。江北町は黒色の章入りが通常サイズで何か所かあるのですが、大町町の章入りは国道34号にしかなく通常サイズの標識は佐賀県では珍しいイラストタイプしかない自治体です。無事、江北町と大町町が回収できて満足です。

江北駅に引き返して、続いて佐賀駅で下車し、近くのレンタルサイクルで自転車を借りて佐賀市で撮影したい標識を撮影してきました。

(県道49号旧佐賀市境にて)

こちらは県道の旧東与賀町佐賀市の境に設置されている標識です。佐賀県では市町村の旧境界の標識を完全撤去するのではなくこのように○○市旧自治体名に書き換えて表示する、面白い県なのです。しかも、一定の箇所だけではなく、もともと標識が設置されていた場所ならどこでも位にあります。なので、これだけ集めるだけでも相当な数があって集めがいがありそうです。

(県道49号 旧東与賀町境)

道なりに進むと旧川副町領域に。標識をよく見るとかつての標識をベースにしているので、自治体名の名前の長さによって大きさも違います。

そして、今回の撮影で撮影したい標識の1つがこの近くにあります。

(1枚目:県道48号 旧東与賀町境 2枚目:県道48号 旧川副町境)

なんと、この地点は上書きされないで章入りのまま残っているのです!!
自治体で章入りがそのまま残っているのって神埼町千代田町だけだと思っていたのですが実は、東与賀町川副町にもありました。これもお世話になっている、標識撮影仲間の方が見つけたもので撤去される前に撮影したいと思い無事回収できたので良かったです。

次に向かうのは少し前?いや、だいぶ前に話題になった自治体へ。

(国道444号:旧川副町境にて)

県道48号を筑後川方面に進むと旧諸富町境界に着きました。もちろん、例の文字のみ標識もあります。ん?新調されてる??このタイプの標識も更新されるらしいです。やっぱり、章入り東与賀町川副町は交換される可能性があるのであるうちに撮影して正解です。

この地点から少し進むと、目的の場所に着きました。

(1枚目:県道18号 福岡県大川市境 2枚目:県道18号 佐賀県佐賀市境)

そうです!!福岡県と大川市の章入りタイプです!!一時期福岡県章タイプが見れなかったのですが、佐賀県の県境に増設されて話題になったこのタイプ。ついでに大川市の章入りも誕生したのも10年以上前の話らしい。何はともあれ、かねてから撮影したかったタイプだったので良かったです。
一方で、佐賀県の方も章入りですが、こちらは九州一の章入り大国なのであんまりレアな感じはしませんね。でも、地味に、佐賀県のシンボルタイプネガは初撮影なんですよね。

そして、福岡県といえばこのタイプを忘れていけません。

(1枚目:国道208号 佐賀県佐賀市境 2枚目:国道208号 福岡県大川市)

先ほどの県境を後にして今度は国道208号の県境に。

こちらは直轄国道なので福岡県のイラストタイプ大川市が拝めます。イラストは大川市出身の古賀政男氏と記念館です。こういった、イラスト標識に昭和時代を生きた人を描くのって珍しい気がします。中津市福沢諭吉もかなりインパクトありますが戦前の人ですし、他に例がぱっと思い浮かばないですね。

反対側の佐賀県の方もレア標識で佐賀県章タイプでかつネガタイプの誤植じゃないものってここしか無かった記憶。だいたい、シンボルマークに取って変わられているので貴重です。

無事、大川市の2種を撮影を終え、最後のポイントに向かうために今度は神埼市方面に走ります。と、ここで予想外の収穫が。

(1枚目:県道48号 旧佐賀市境 2枚目:旧道 旧佐賀市境 3枚目:旧道 旧諸富町境)

県道48号を神埼市方面に向かっていると、旧佐賀市と旧諸富町の境に差し掛かって、例の諸富町の上書き標識が見えてきました。どうやら、川が境界になっているようで橋を渡ると旧佐賀市領域に入るようです。で、境界で写真を撮ってると今いる場所のすぐ隣にも橋が架かっているのが見えて、なにやら市町村標識らしきものがあってこれは怪しいと見に行くとまさかの諸富町佐賀市のB型!!!

まさかの、諸富町の旧型が残っているとは思っていなかったので驚きです。そして佐賀市の旧型って現行の境界に無かったと思うので地味にレアです。

まさかの遭遇に得した気分です。これだからカントリーサイン撮影はやめられないのです。

(1枚目:県道48号 佐賀市境 2枚目:県道48号 神埼市境)

県道48号を進んでようやく神埼市に突入。目的地はもうすぐですが、こちらでも立ち止まって撮影。何てことない章入りタイプですが、県設置の神埼市は初めて撮影(前は国道で撮影した)、佐賀市の単独かつ2文字仕様の通常タイプの撮影(前は久保田町サイズの3文字横長仕様の撮影)と市町村標識の種類の豊富さと細かいところに気付けるマニアならではの楽しみ方です。(これはもう重症です。)佐賀市は合併後に新しいマークに変えた自治体で、いかにも最近のマークだなぁって思いますが割と佐賀市の新章の気に入ってます。因みによく見ると旧章の亡霊が見えてきます(笑)

この境界からさらに進むと国道264号にぶつかります。で、目的地はこの国道の旧道にあるカントリーサインです。

(1,2枚目:市道 神埼市境にて)

なんと、佐賀市のA型(白看板)が残っているのです!!!!さっき、佐賀市のB型旧型標識を見つけましたが、こいつはそれよりも前の時代の標識です。だいぶ錆錆ですが状態はまだいい方です。ちゃんと佐賀市の文字が判読できるのは偉いです!!

多分、隣の国道の旧道だと思いますが、よく残ってくれてました。以前に、佐賀県に行った際に目ぼしいものは大体収集できただろうと思った矢先にここにA型が残っている情報を知ったのでずっと撮影したかったので無事回収できて良かったです。因みに反対の旧千代田町は見つかりませんでした。

これにて、佐賀市近辺で撮影したいのは撮影できたので佐賀駅に戻りました。だいたい2時間半のサイクリングでしたが充実した撮影会で大満足です。これで、後はのんびり…とはいかないんですねぇ。。

佐賀駅に戻って休む間も無く今度は鳥栖駅へ。ここから歩いて界隈で最近話題の場所へ。

(1枚目:県道14号 佐賀県鳥栖市境 2枚目:県道14号 福岡県小郡市境)

そうです!!小郡市の章入りバージョンの標識です!今まで、小郡市は章入りやイラストタイプが無い自治体だったのですが、このバイパスになんと章入り標識が誕生したのです!早速私も撮影に行ってきました(笑)

そして、地味に福岡県の枠無タイプの章入りは初登場です。福岡県って文字のみしか設置しないのかと思っていましたが大川市然り章入りの設置概念あるんだなぁって驚きです。余談ですが、この近くに鳥栖久留米道路の計画が進んでいるらしく、こちらは直轄ですが、久留米市の境界を跨ぐため将来久留米市の章入りタイプが見れるかもしれませんね。

撮影が終わり、鳥栖駅に戻り、次の目的地へ。この日の目標は飯塚市の図書館に行くことが含まれていたので、博多駅まで戻り篠栗線飯塚駅に行くのですが、途中天道駅で下車し、飯塚市桂川町の標識を撮影しました。

(1枚目:国道200号 桂川町境 2枚目:国道200号 飯塚市境)

以前に福岡県で活動した際、飯塚市周辺は来たのですが桂川町飯塚市のコスモスタイプは未撮影だったので撮影してきました。見ての通り標識が中央分離帯にせっちされているので、撮影するのが結構大変でした。幸いなことに交通量がそれほど多くなったのでマシだったので良かったです。

撮影を終え、目的地である飯塚市の図書館に向かい調べものを終え、まだ日没まで時間があったので本日最後の活動をしました。

東水巻駅で下車して、徒歩で境界へ。

(1枚目:市道 水巻町境 2枚目:県道203号 水巻町境 3枚目:県道203号 中間市境)

こちらが、駅から歩いて撮影できる標識達。

まずは北九州市から。デカい!!とにかくデカい!!

いや、県境の標識でもこんなに大きくないぞ?という位のサイズ感。108系案内標識と同じサイズじゃないかな?国道16号の東京都瑞穂町の伝説のサイズほどではないが、それに引け劣らないサイズ感です。しかもちゃんと章入りで偉い。北九州市は割と章入りタイプが多い印象ですがこちらはネガタイプです。ポジタイプも存在するのでいずれ撮影しに行きたいところです。

中間市水巻町北九州市と打って変わって小さい通常のサイズです。ただ、なぜか水巻町側だけ英無しですが、新規撮影自治体が増えたので良しとしよう。

これにてこの日は終了です。多分、youmyanの旅って言ったらこんな感じが通常だと思う人もいるでしょう。私もそう思います。やっぱり、こう詰まってる感が安心します。

そして、迎えた最終日。この日は県立図書館で調べものフェイズの予定だったので標識札は2か所だけです。

まず、朝早く北九州市を出て、海老津駅という駅で降りてあるいて目的地へ。

(1,2枚目:国道495号 岡垣町境 3枚目:国道495号 芦屋町境)

駅から歩いて1時間、芦屋町岡垣町のイラストタイプを撮影。こういうのってだいたい直轄国道とかそれなりに大きい国道にしか無い感じの標識ですがなぜか、番号の大きい国道495号の境界には福岡県のイラストタイプがあります。それこそ、直轄国道を通ってる水巻町とか遠賀町とかには無いけど芦屋町にはあるという謎現象が起きています。岡垣町も国道3号の宗像市境にはありますが遠賀町側には無いので割と貴重です。

(県道91号 志免町境)

そして、もう一か所撮影したのは須恵町。この町は県道に英文字入りの標識(町道にはあった)は無くて、ようやく誕生した貴重なもの。宇美町も英文字入りの標識が県道に誕生して(撮影してない)ようやくこの一帯にも標識設置ブームが来たのかと思えば反対の志免町は未設置。中途半端ですねぇ......

今後に期待です。

という訳で、今回の旅で撮影した標識は以上です。割と福岡県、佐賀県長崎県は回っていますが、意外と撮影できていないタイプってあるので今回はいろいろ撮影できて良かったです。福岡県はイラストタイプの撮影の余地があるのでまた撮影に行きたいところです!
 

youmyan 

 

5日間長距離遠征!!2024追憶旅!(標識編前編)

こんにちは!youmyanでございます(^_^)

前の記事から約2か月が経ちましたが、あっという間に夏になってしまい、時間の流れは早いなと思う今日この頃です。

さて、夏と言えば私のブログではお馴染み、そうなんと今年も5日間かけて九州に遠征に行ってきました!!昨年は忙しくて時間が取れなかったのですが今年は何とかお金を貯め、時間を見計らって行ってきました。

今回の旅は例の標識撮影が目的ではあるのですが、過去4回にわたって行った九州旅行の時に行けなった場所や観光をするというのがコンセプトなので追憶編としています。

なので、割かし今回は標識撮影ばっかりな感じの旅ではなく観光を満喫する感じだったので撮影してきた標識についてはこちら1回でまとめようと思います!と思ったのですが、書いてて一回にまとめられなさそうなので標識編前編後編でお届けします!

では、早速今回私が撮影した標識を紹介していきましょう!

(1枚目:国道10号 豊前市境 2枚目:国道10号 築上町境)

1日目、私は朝一番の福岡行きの飛行機に乗って福岡空港に行きそこから、電車で築上町を目指しました。今回の旅はどちらかというと長崎をメインにしてたのですが、どうしても、築上町の図書館に調べたい資料があったので行く機会も中々無いのでカントリーサイン撮影のついでに豊前エリアに行きました。その際に撮影したものです。

福岡県と言えば、大型のイラスト標識が設置されているイメージですが福岡県の北九州・京築(旧豊前国)の方はこのような文字のみが主流です。撮影場所は直轄国道ですが北九州管轄では文字が採用されています。しかし、設置からだいぶ経つので豊前市側は文字がかなりすり減っています。(築上町は合併して比較的新しく誕生したので新しい)

あと、文字のみで面白みが無いなと思うかもしれませんが実は国道10号の北九州市吉富町の間(築上町以外)の標識は文字が通常のナールDではなくやや丸みを帯びたフォントを採用しており県管轄以外では見られないタイプとなっており何気にレアです。

(1,2枚目:県道113号 大分県中津市境 3,4枚目:県道113号 福岡県吉富町境)
続いて、大分県側に場所を移して吉富町中津市の標識を撮影。
この場所は県道に降格していますがかつては国道10号だった場所です。

その証拠に吉富町の標識の支柱に亡霊が見えています(笑)
あとは、吉富町の標識の文字が例の国道10号の独特のタイプなので国道の名残を見ることができます。
実は吉富町カントリーサインって旧国道10号の豊前市境とここの中津市境にしかないんですよね。ただ、経年劣化でだいぶ擦れてるのでそろそろ交換して欲しいものです。

反対側、大分県側では立派なイラスト標識がお出迎えしてくれます。カントリーサイン本家北海道のものと変わらない大型イラストを設置している大分県では県管轄だけではなく直轄国道でもしっかり整備されています。中津市のイラストはつい最近一万円の座から降ろされてしまった福沢諭吉氏と独立自尊碑です。福沢さんは中津藩の出身であることからこのイラストが採用されたようです。

因みにですがこの標識の支柱を見るとかつては吊り下げ式の支柱だったことが分かるのですが、大分県のイラストタイプ標識が採用される前は福岡県同様の英文字入りの文字のみタイプの標識が設置されていたようです。ただし、文字は大分県のフォントと同じく通常のナールDでした。管理管轄によって標識の設置の様式が変わる良い例ですね。

(県道108号:福岡県吉富町境)

そして、こちらは県道113号の隣の県道108号で撮影したものです。

実は何の変哲も無いこの標識ですが、最近に中津市の県境で未設置箇所に増設されたうちのひとつです。未設置箇所に設置されたというだけで嬉しいのですが、何気に大分県章タイプって国道10号、326号の宮崎県境、国道210号の福岡県境の3か所しか無くて、しかもネガタイプは国道10号だけだったのでこうしてネガタイプの大分県章入り標識が増えてくれたのは喜ばしい事です。あとは、中津市の英文字入りの文字のみタイプは先述の通りかつては国道10号にはあったのですが撤去されてしまい一時期は消滅していたのですが、こうして復活してくれたのは喜ばしい限りです。欲を言うなら中津市も章入りにして欲しかったのですが、文字のみが主流の九州では中々難しいのでしょう。

因みに反対の吉富町は未設置のままでした。いつか設置される日は来るのかな?

こうして1日目は終わりました。

(1枚目:国道386号 朝倉市境 2枚目:国道386号 筑前町境)
2日目は観光メインの予定で標識撮影は3か所くらい予定していたのですがあいにくの雨で結局この日は朝倉市筑前町しか回れませんでした(^_^;)

福岡県って言ったらやっぱりこの大型イラスト標識ですね。筑前町夜須町と三輪町がくっついて出来た町でちゃんとこの2つの町のイラストバージョンの標識が残っています。以前に夜須町バージョンは撮影していたので今回は三輪町バージョンを撮影に。イラストは旧町の花のフジの花です。町内には藤の里公園がありきれいな藤棚が見れるそうです。

反対の朝倉市は旧甘木市秋月城跡の長屋門のイラストですね。

因みですが、朝倉市甘木市朝倉町、杷木町で作られた市で朝倉町が市制施行したのではなく甘木市を含める周辺の朝倉郡から取って新設合併したものらしくてとてもややこしい。そして、カントリーサインにおいても国道386号甘木市朝倉町、杷木町の順に通るため朝倉町バージョンだけ現存しないので朝倉市の朝倉バージョンだけ無いというまたややこしいことになっています。かつては朝倉町にも同様の標識があったらしいが画像はいまだに見たことが無いです。。

(1枚目:国道34号 諫早市境 2枚目国道34号 長崎市境)
3日目、舞台は長崎県に移ります。この日は2か所で標識撮影です。

まずは、国道34号諫早市長崎市カントリーサイン撮影です。

この場所は前にこの記事

lovecountrysignsyou.hatenablog.com

で訪れていますが、今回の目的は諫早市が旧章タイプに戻ってるとお世話になっているカントリーサイン撮影仲間の方が写真を上げていたので私も撮影に来ました。草が生い茂って見えにくいですが旧章タイプが復活してる!!!諫早市の旧章タイプの写った写真って見た事無いのでありがたいのと同時に現行の章に直して欲しいなと思いました。

そして、何気に反対側の長崎市の標識、いたずらのシールが変わってる。せっかく右下のシールが剥がれてたのに、今度は左上に.......どうして、そんないたずらするのかよくわからんです。公共物を汚すのはやめて欲しいものです。というかどうやって貼ったんだ??手を伸ばしても随分と高い位置にあったぞ??

(1枚目:雲仙グリーンロード 旧南串山町境 2枚目:雲仙グリーンロード 旧小浜町境)

もう一か所は雲仙グリーンロードの旧南串山町と旧小浜町の標識です。

雲仙グリーンロードは島原半島をぐるっと回る農道で島原半島の旧自治体の標識が残っており、南島原市側は以前に撮影していたのですがこの2か所は撮影できて無かったので撮影してきました。

小浜町はイラストタイプではなく章入りタイプです。おそらく、国道57号にも章入りタイプがあったと思うのですが、ネガタイプが設置されていたと考えられるので、こちらのカラーポジはレアタイプです。

南串山町側は大型のイラストタイプですが、長崎県の水色ベースの標識とは違う感じです。おそらく国道251号に長崎県タイプが設置されていたと思うのですが、たぶんこのイラストとは違ったのでしょう。本当は長崎県タイプで揃えたかったですが無いものは仕方が無い、こうして残ってるものだけでもありがたいので感謝して撮影しました。

この日は諫早市長崎市で過ごして終わりました。

長くなってしまったので後編に続きます。

続く

youmyan

群馬県高崎市新町の街歩き

こんばんは!youmyanでございます!

今回取り上げるのは群馬県高崎市新町です。

高崎線新町駅前にあった高崎市のガイドマップです。地図で見て分かるように高崎駅や市街地がある高崎市域から離れた場所に飛び地として存在しているのが新町領域です。

2006年の1月に高崎市編入される前は群馬県多野郡新町として独立していました。本当は隣接している藤岡市と合併する予定だったようですが破談して、高崎市と合併することで飛び地になってしまったようです。

さて、私がなぜに新町に行こうと思ったのかと言いますと、もちろんカントリーサイン関係にあります。上の新町領域マップを見てもらうと南西の方に紫の線が通っています。これは関越自動車道でわずかながら新町を通過しています。という事は新町のカントリーサインが設置されているわけなのです。ただ、基本的に高速道路のカントリーサインは撮影困難であるため撮影対象としていなくて時たま脇道から撮影できそうなときには撮影するスタンスで、この新町は上下線に残ってはいるものの草木で遮られて今まで撮影困難だったため撮影はしていなかったのですが、つい先日関越自動車道を通った(ちょうど前に千曲市に行った時ですね)時に下り線の新町のカントリーサインが設置されている場所の木々が伐採されていて側道から撮影できそうな状況だったのでゴールデンウイークやることも無いのでカントリーサイン撮影ついでに新町を散策したわけです。

千葉から鈍行列車で約3時間くらいで新町駅に着きました。実はこの駅を降りたのは初めてではなく1年半前にも来ておりこの時もカントリーサインの撮影を目的で来ました(詳しくはまた後で)。なのでまさか、またこの駅に来ることになるとは当時は思っていませんでした(笑)

さてここからは、歩いて関越道の側道に向かう訳ですがだいたい30分くらいで到着しました。

(関越自動車道 下り線 埼玉県上里町境にて)

これが関越自動車道における旧新町のカントリーサインですね。わずか600mしか通っていないのに律儀に設置されています。

イラストは神流川合戦のものです。イラストデザインは浅野モオム氏が作成したものだそうです。

この神流川合戦は1582年、織田信長が死んだ際に神流川で起こった戦いらしく、関東南部の北条氏と上州を治める滝川一益氏が関東の領地をかけた戦いだそうです。

戦いの結果は北条氏が勝利したのですが両者損害が大きく、死者が4千人を超えたそうです。戦いの様子は「炎熱石を焦がし流水煮える阿鼻叫喚の死闘であった」と伝えられており関東最大の激戦とも言われてるそう。その時の戦いの場所がちょうど新町にあって史跡などが至る所にあることから新町のカントリーサインに採用されたようです。

見ての通り、道路の法面は草木がほとんど無くなってすっきりしています。少し前までは結構立派な木が生い茂っていて標識どころか道路の上場すら見えない感じだったのですがなぜか数mにわたって伐採されています。何故なのかわかりませんが新町のカントリーサインが撮影できてラッキーでした。

実は関越自動車道群馬県区間(厳密には高崎管理事務所管轄)ではカントリーサインの一斉更新が行われており、それに伴ってイラストのデザインが一新されました。高崎市もイラストが更新されたので新町領域のカントリーサインも交換or撤去が危惧されましたが現在まで残っています。ただ、上信越道の旧吉井町領域の高崎市もイラストが交換されているためもしかしたらいずれか、この新町のイラストも拝めなくなってしまうかもしれません。撮影する方は早めに撮影することをお勧めします。

(関越自動車道上り線 藤岡市境にて)

因みにですが反対の上り線側はというと、こんな状況で草木が生い茂っていてまともに撮影できません。先ほど前にも新町に来たと話しましたが、そのときに撮ったのが上の写真です。下り線側は完全に草木が生い茂っているのは分かっていたのですが、上り線はワンチャン撮影できるのでは?と思い訪れたらこの有様です。。ああ、側道からの撮影は無理や。

当時は新町のカントリーサインは道路上で助手席の時に上手く撮るしかないなと思っていたので、下り線の草木の伐採は喜ばしい誤算でした。高速道路のカントリーサインがだんだん減っていくなか少しでも少しでも記録に残したと思っていたので良かったです。

無事、目的を果たしやることは無くなったのですがせっかく交通費払ってきたので町を散策することに。

次に向かったのは国道17号線の神流川橋。

関越自動車道が走ってる場所から東の方へ土手を歩いていると国道17号にぶつかります。写真は土手の写真です。この日は絶好のお出かけ日和でのどかな土手を散歩するのにちょうどよかったです。写真右手が神流川の河川範囲ですが水流がある場所はもっと奥にあって川幅の割には小さい印象です。なので、畑だったり公園として利用されているようです。

土手を歩いていると間もなく国道17号の合流地点が見える場所にこのような神流川古戦場跡の石碑と解説があります。本当にここで合戦があったという証拠ですね。

ここが国道17号神流川橋です。ちょうど群馬県と埼玉県の県境にあってカントリーサインマニアとしては大事な地点です。

しかし、肝心のカントリーサインは設置されていません(T_T)

実は2022年に新しい橋に架け替えられたのですが、だいたい開通から1年半以上経つのに設置される気配が無いです。同じく国道17号の反対の県境である新潟県境では新三国トンネルが開通した時はちゃんと新設されたのに、こちらはいまだに設置されてません。旧道のものが移設されるのかなと思いきや、今回訪れた時は旧道のカントリーサインすら撤去されていました。

因みに、昔はこんな感じで直轄仕様の章入りカントリーサインが設置されており、新橋開通後もしばらく残っていたようですが、それすらも無くなってしまい、かろうじて新橋からもカントリーサインが見えていたので良かったものの、ついに県境を目視できなくなってしまいましたね。。現地を見た感じ、新しい橋の隣にもう一本橋を架ける感じで4車線にする際にまとめて新設するのかなと思いましたが、現段階でも設置してもいい気がしないでもないですかねぇ。

あと、この地点のカントリーサインですが、群馬県のマーク部分が県章ではなく県旗のマークが使われていて、結構レアなんですよね。昔は県章タイプよりも県旗タイプが使われていたようですが、最近は県章にタイプに統一されてきており、現在では国道50号の栃木県境のみでしか見れない代物です。しかも、国道50号のものは国道17号のものと違ってポジタイプであるため、ネガ県旗タイプは国道17号のみだったので今回撤去が確認されたことで貴重なカントリーサインがまた消えていったことになります。なんだか寂しいものです。直轄だからそうそう撤去は無いだろうと思っていても今回のような事例があるので、なるべく撮影したいものは早めに撮影するのは大事だなぁって思いました。

神流川橋のカントリーサインの設置の確認を終えてた私は、ちょうどお昼過ぎの時間だったのでお昼にすることに。せっかくなのでこの町の名物をと調べるとソースかつ丼が有名だという事がわかりました。

どうやら、先ほど出てきた神流川の合戦から「合戦に勝つ」からカツを新町名物として推しているようです。町内でかつ丼を出しているお店はいくつかあるのですが、各お店によって味が違うんだそう。

私はソースかつ丼が食べれるお店のなかで訪問日に営業している「あやめ屋」にお邪魔しました。

こちらがあやめ屋の外見です。お蕎麦屋さんですが、丼ものも提供しているそうです。

中に入るとまちの定食屋さんって感じで良い雰囲気のお店でした。

さて、私が注文したのは、丼ものと蕎麦がセットになってるものです。今回はミニソースかつ丼とたぬき蕎麦ですね。そばの他にもうどんや冷たいものにも代えられるそう。これで950円です。量もあってリーズナブルな価格です。

味はというと、カツは甘辛いソースとしっかりとしたお肉と絡み合ってさっぱり食べやすい印象でした。そして、そばの方ですがしっかり食べ応えがあっておいしかったです。蕎麦は全てこだわりの石臼挽きだそうでのど越しが良いそばに仕上がってるそうです。あと、つゆも出汁が効いておりすごく飲みやすくて、つゆまで飲み干してしまいました(笑)

今回は食べなかったのですが、イカ天だったり、カレーうどんも人気らしいので是非また食べに行きたいなと思いました。18きっぷで群馬によく行く機会がありますが、新町駅は千葉への帰り道にあるので是非下車してまた来ようと思います。

胃袋も満たされて満足したので最後に国道17号に戻って今度は藤岡市の境界でカントリーサインを撮影することにしました。

(1枚目:国道17号 藤岡市境 2枚目:国道17号 高崎市境)

こちらが藤岡市境の藤岡市高崎市です。

直轄国道なのに文字のみの藤岡市。新町時代からどうやら文字のみだったようです。

群馬県直轄国道高崎市側のような小ぶりな章入り標識もしくは英無し文字のみ、一部で大型のイラスト標識が設置されており、比較的新しい標識で英あり文字のみは直轄国道は珍しい存在。サイズ感も左右の余白があって独特な感じです。あれですね、旧式の白看板の現代版みたいな印象を感じました。

一方で、高崎市側は群馬県直轄国道で見られる吊り下げ小ぶりサイズの章入りです。群馬県はあんまり章入り標識を設置しないイメージですが、高崎市はいたるところで章入りが見れるのであんまりレアな感じはしません。

そういえば、私が小学生の頃茨城から長野県に旅行に行く際に関越自動車道の外側に見えていた高崎市カントリーサインはここのものみたいです。当時、まだカントリーサイン撮影を始めて間もないころだったのですが、標識には興味があったので車窓から高崎市の標識が見えて、高崎市のマーク入りの標識があるなくらいの印象はあり、その標識を初めて見てから約10年以上経ってから回収することになって、もう10年以上カントリーサイン撮影を続けてるんだなぁって思うと感慨深いものです。

ところで、この地点の高崎市は昔は新町だったと思うのですが、当時は章入りだったのですかね?反対の県境の方は章入りで画像もそれなりに出回っているのですが、反対のこの地点の新町の画像って見た事無いんですよね。もし、章入り標識だったら、ポジタイプだったのかな?気になるところです。

おわり

 

・追記(2025.6.22)

(関越自動車道 群馬県藤岡市境付近 側道にて)

この記事を書いてから約一年後、やはり関越道の新町標識は更新されてしまいました。

更新の情報はつい数日前に知ったのですが、調べてみるとどうやら昨年の12月ごろには更新されていたみたいですね。(これで関越道の上里町みなかみ町まで完全更新が完了しました。)

更新はされてしまったものの、イラストは神流川の戦い(滝川一益)を採用されておりちゃんと新町バージョンとして更新されました。

最近の流れとして、イラスト入りの市町村標識境は減少の一途をたどっていましたが、こうして、イラストタイプの標識を残してくれるのはやっぱりうれしいものです。しかも、驚いたのは高崎市のイラストが旧高崎市領域、旧新町領域、旧吉井町領域(上信越道)ごとにイラストが分かれており、それぞれかつてのイラストを踏襲したものにバージョンされたのでとても凝ったことをしているなぁと感心します。各管理事務所さんのカラーが出て面白いなと思いますね。

是非、高速道路を利用した際は気にしてみてください。

youmyan

あんずの里と温泉のまち(千曲市散策)

こんばんは、youmyanでございます!!

今回は長野県千曲市での活動について書いていこうと思います。

というのも、最近千曲市に行くことが多くて、昨年度の12月、本年度の1月、4月で計4回も出向いていました(笑)

目的はイラスト入りの市町村標識の撮影とまちの散策なのですが、1日じゃ目的が全然果たせなかったので数回に分けて活動したという訳です。

・2023年12月24日、2024年1月5日(長野県内の国道のイラスト標識の撮影および上信越道の旧更埴市の標識のイラスト文献調査)

・2024年4月8日(あんずの里散策、戸倉上山田温泉散策)

・2024年4月20日(長野県内の国道のイラスト標識の撮影、姨捨SA訪問、戸倉上山田温泉散策)

と、こんな感じで千曲市周辺中心に長野県内でいろいろ活動していたわけです。

さて、どうして千曲市にこだわって活動をしていたかというと、上記にある上信越道更埴市の標識の文献調査が発端なのです。

以前にどこかに書いたと思いますが、高速道路のカントリーサインについて調査をしており、平成の大合併前の自治体でイラストが不明なものを明らかにしてきたのですが、やはり合併から十数年経過してることから、道路の管理者や自治体に問いあわせても分からない自治体が数か所あって、そのうち上信越道更埴市の標識のデザインが長年不明なままでした。問い合わせが全滅の場合は残る方法として図書館などで写真が写り込んでないかチェックする方法があるのですが、経験上見つかる可能性は低いのであんまり期待できません。ただ、可能性がゼロでは無い以上調査しないと気が済まなったので更埴市の資料が残ってそうな千曲市立更埴図書館に足を運ぶことに至った訳です。

ついでに、国道18号のカントリーサインも撮影すれば文献調査に失敗した際に交通費が無駄にならなくて済むと思い軽井沢町から各自治体を回って千曲市に向かいました。

(1枚目:国道18号 長野市境 2枚目:国道18号 坂城町境)
因みこれが国道18号沿いに設置されているカントリーサインです。

長野県内の国道沿いにはこのような標高が併記された独特の市町村標識が設置されており、千曲市は旧更埴市バージョンと旧戸倉町バージョンを使いまわしているようです。

更埴市は森のあんず、戸倉町戸倉温泉マツヨイグサが同県出身のきりえ作家の柳沢京子氏のきりえで表現されています。

さて、無事に標識を撮影を終えて更埴図書館に向かい郷土資料を漁ってると......なんと、更埴市時代のカントリーサインが写った写真があるではないか!!!

流石に、見つからんだろうという気持ちが90%だったので驚いた。たまたま、上信越道の工事の流れのページに五里ヶ峰トンネルから見た写真があり、その中にイラストが判別できるくらいの標識が写り込んでたいたわけです。

それで、なんのイラストだったかというとあんずの花のイラストでした。長野道のものと同じだった訳です。これで長年のもやもやがまた一つ解消されたので良かったです。

(因みに、写真ですが一応コピー対応をしてもらったので手元にはあるのですが、ネットに載せていいのか分からないので載ないことにします。実際に見たいって方は更埴図書館で探してみてください。あと、標識に描かれたイラストについてはとある場所で見つけたので後に説明します。)

という事で、更埴市はあんずをゴリ推してることが分かったのですが、ここまで推されるとそんなに凄いのか気になるのが私の性分です。あんずの花が一面咲き誇る光景が日本一のあんずの里と称されるくらいには綺麗という事らしいので見に行くしか無いと思い春にまた千曲市に来てしまったのです。(笑)

(屋代駅にて)
4月の某日あんずの花が見ごろの時期にまたまた千曲市に来てしまいました。駅前にもあんずの木が植わっておりかわいい白い花を咲かしています。

さてお目当てのあんずがたくさん植わってる集落あんずの里は駅の後ろに写ってる山のちょうど裏っ側にあります。移動手段はバスとレンタルサイクルがあるのですが、バスは思った以上に人だかりができていたのでレンタルサイクルを借りることにしました。

こいつが今回の相棒です。最近増えている都市型のシェアバイクです。千曲市では上田市と連携して駅だったり観光案内所にバイクポートが設置されており自由に乗り降りができることから観光に便利なアイテムとなっています。

実際にあんず里は道が狭いうえに車の混雑があるためちょっと歩くのには遠いかつ車じゃ行きにくいなって時に便利です。今回は自転車をチョイスして正解でした。

自転車に乗って、まちを進んでいると歩道のタイルやマンホールにもあんずの花と実をあしらったものが散見されました。いかにあんずが町のシンボルとして扱われているか分かります。

平坦でのどかな道を進んでいくとあんずの里の入り口に差し掛かりました。

道沿い、あんずの木らしきものがちらほら生えていましたがここから絶景が広がってると思うと楽しみ。

あんずの里入り口から少し走るとこんな感じであんずの花がちらほら増えてきました。この日はまだ蕾が多かったのですがきれいな花を咲かせており時折立ち止まって写真を撮りまくりです。自転車旅でしか許されない特権ですね。

そして、さらに奥の方へ進んでいくとあんずの里のひとつである森地区への案内標識が出てきます。

実はこれが上信越道と長野道で使用されていた更埴市の標識のイラストと同じものです。あんずの花が描かれており、特徴的な丸い蕾も描かれています。何年も更埴市カントリーサインのイラストを探し続けてましたが、実はひっそり生きていたようです。

集落を道なりに走ってるとあんずが至る所に生えているのですが、よく見ると色や背丈がまちまちで濃い目のピンクだったり白だったり背がめっちゃ高かったり見てて飽きないです。どうやら品種が結構あるらしくてそれぞれの品種によって色とかが変わるらしい。

さて、あんずが見れる場所はいろいろあるのですがまずはあんずの里で一番奥にあるあんずの里スケッチパークに来ました。

ここではあんずの花が近くで見れるスポットになっており、地元の野菜やお菓子が売ってるお店もあるこじんまりとしたお花見スポットです。

こんな感じでいろいろな種類のあんずの花が楽しめます。とてもきれいです。

こちらはスケッチパークから少し離れたところにある展望台から見た光景です。

この日はまだ5分咲きなのであんまり色がついて見えないですが満開になると辺り一面ピンク色になるらしいです。長野の山々とのどかなあんず畑の風景がかつての日本のふるさとを思い出させるような感じがします。おそらく、国道18号のあんずの里のイラストもこの風景がモチーフになったのでしょう。

まだ、満開では無かったですが十分に綺麗な景色を堪能できて来てよかったなと思いました。次いつ来れるか分かりませんが、是非満開の時にも訪れたいなと思いました。

あんずの花のお花見を堪能した私は、屋代駅周辺に戻ってきました。

ちょうどお昼過ぎでしたの昼食を取ろうと思い、お邪魔したのが「生姜焼き けんちゃん」。その名の通り生姜焼きのお店なのですが、12月に千曲市に来た際にはまだオープンしていなかったのですが、看板が凄く印象的だったので是非行ってみたいなと思って行ってきました。

生姜焼きと言えば、焼かれて出て来る定食を思い浮かべると思いますが、このお店はジンギスカン鍋を使ってセルフで焼く面白いスタイルの生姜焼きになっています。

私が食べてるのは豚肉のショウガ焼きですが、タレがしっかりと付け込まれていてとてもやわらかい感じでご飯との相性もバッチリ。サイクリング後の栄養補給ができてとてもおいしかったです。今度また千曲市に来たら通っちゃうと思います(笑)

続いて、この日はまだ時間があったので戸倉上山田温泉に入るべく、戸倉駅までやってきました。屋代駅で借りた自転車は時間の都合で戸倉駅で返却しました。温泉地までは少し距離がありますが歩いて向かうことに。

ここは千曲川に架かる大正橋です。

戸倉地区と上山田温泉地区を結ぶ橋です。現在の橋は平成14年に完成したようですが古くから両温泉地をつなぐ重要な橋で、観光地として発展するのに重要な役割を担っています。ガス灯やモダンな欄干は大正ロマンを彷彿させるようなデザインになっています。

温泉街に来るとこんな感じで昔ながらの旅館や木目調の景観がいかにも温泉街って感じで歩いてて楽しい街並みです。

そして、今回戸倉上山田温泉で日帰り入浴ができる7か所の内、戸倉国民温泉をチョイス。外観は年季が入っていますが、いざ入ると昔ながらの銭湯で見たいな感じで内装は比較的新しい感じで好印象でした。そして、温泉はというと完全かけ流しでとても良い泉質でした。美肌の湯独特のヌルヌルほどまでは行きませんが比較的やわらかい方の温泉で温度もちょうどいい感じでおすすめです。しかも、340円で入れるからとてもお手頃です。近所なら毎日通っちゃうと思います。

温泉でのんびりして駅まで戻ってこの日の千曲市散策は終了です。

あんずの花は綺麗だったし、温泉もいい湯だったので大満足です。また来たいなって思いました。

久しぶりに観光をしましたがやっぱりのんびりしてていいですね。見たいものを見て、食べたいもの食べて、温泉に入って、散歩して、これが本来の旅なんだろうなと。

今までは私は標識を撮影する事ばかりに専念していましたが、標識撮影だけではなく町をしっかり観光する形式の旅もいいかもしれませんね。

という事で、今回は千曲市で観光したよっていう記事でした。これを見て千曲市に行ってみたいと思ってくれたら幸いです。

・おまけ

(上信越自動車道 坂城町境側道にて)

現在の高速道路における千曲市の標識です。イラストは名月の里(旧更埴市)、戸倉上山田温泉と大正橋(旧戸倉町上山田町)の各自治体の名物が採用されています。上山田町上信越道と長野道いずれも通っていなかったので合併の際に追加で大正橋が入れられたものと思われます。

(姨捨SA下り線にて)

先ほど長野道の更埴市はあんずの花のイラストと書きましたが実は2種類あってあんずの花と上記の名月の里のイラストが使われていました。

内訳としては長野道は更埴市長野市更埴市と跨いでおり、姨捨領域では名月の里のイラスト、更埴市街地ではあんずの里のイラストが採用されていたようです。どちらも市境標識としては見ることができませんが、このように別の標識でイラストが残っているのは貴重ですし、マニアとしてはうれしいものです。

ところで、千曲市の標識ですが旧更埴時代あんずをゴリ押していたのに何故にあんずの花が描かれて無いのか謎です。せっかくならあんずの花も仲間に入れてあげて欲しかったですね。

おわり

youmyan

東京都の旧型もついに.......

こんばんは!youmyanでございます(^_^)

前回の記事から約4カ月経つのですね。。まぁ、私はとりあえず生きております。ただ、昔のように標識撮影に出向けてないのが現状で、書くネタがあんまりないんですがね。とは言え記事にしたいものはいくつかあるので気が向いたら書くとします。

さて、今回は東京都のカントリーサインについてちょっと書いていきます。

(都道319号 港区境にて(2020年撮影))

東京都の特別区では上の写真のような各区章入りの古い標識が設置されており我々の界隈では「旧型」と呼ばれており親しまれ?ていました。

見た目の通り結構年季が入っており、ボロボロで今にも朽ち果てて落っこちそうですが、都内ではこのような標識が何か所かで生き残っており上の新宿区もその内のひとつでした。

(都道319号 港区境にて(2024年撮影))

しかし、先日この標識がどうなっているか訪れた際についに新調されていました。ストリートビューを見ると昨年度までは生き残っていたようですが、やはり落下の危険を考慮して新調されたようです。調べてみると、今まで生き残っていた文京区、中野区、杉並区も新調されてしまい、残りは墨田区のみになってしまったようです。でも、他の区同様近い内更新されちゃうのでしょうかね。

因みに、都内で増えてる大型の標識ではなく、小ぶりサイズの英文字が大きいサイズという新しい様式のものが設置されていました。今後はこのタイプが標準化するのでしょうかね?

 

youmyan

実は残っていたA型(白看板)矢吹町

こんばんは!youmyanでございます(^_^)

今年も早いものであと2日で終わってしまいますねぇ~。

結局、本年度はあんまり遠出できず、カントリーサイン撮影もあんまりできなかったかなぁと思い返すと、実はそれなりに撮影していまた。ブログを放置してることや、新規自治体の撮影ではなく既に撮影してる自治体の再撮影が大半だったのであんまり撮影していない感が出ていたようです(^_^;)

そして、今年も冬の青春18きっぷを買うことが我慢できず買ってしまったので年始まで何か所かカントリーサイン撮影に出向こうと思っています。

今回のタイトルにある矢吹町青春18きっぷを使った旅で撮影したもので、この日は日帰りで福島県矢吹町のあゆり温泉に入りに行こうとう感じで計画したものですがストリートビューをなんとなく見ていたら白看板タイプの矢吹町が残っていることに気付いたので撮影してきました。

(1・2枚目:町道(白河市境))

県道58号線近くの町道白河市境にひっそりと残っているいわゆる矢吹町の白看板(界隈ではA型と呼んでいる)。白看板は1950年から1971年頃まで使われていた道路標識の様式のひとつで市町村境標識である101系標識の初代タイプになります。白看板という名の通り本来は白ベースに現在の標識の青よりも濃い黒に近い色の文字が採用されており現在のカントリーサインのベースとなっています。設置から推定50年以上経過しているため鉄でできた標識と支柱は錆びだらけになっていますがこうして現役の道に残っているのはとても貴重です。
福島県内では数年ほど前まではいろんなところに白看板が残っていたようですが撤去が進んでるようで郡山市や本宮町などは旧道などに残ってるくらいでしょうかね。

いずれにせよ、支柱がボロボロなのでいつ撤去されてもおかしくは無いので早めの撮影をお勧めします。

(3枚目:町道 鏡石町境 4枚目:町道 矢吹町境)

・おまけ

ついでに文字のみ(英文あり)の矢吹町も撮影していなかったので撮影してきました。矢吹町は案外章入りタイプか英無し文字のみが多い印象で英ありの文字のみタイプはここ一か所だけだと思われます。

おわり

youmyan

宍粟市の旧自治体のカントリーサイン

こんばんは!youmyanでございます(^_^)

前回の記事でしばらくはあんまり活動できない、更新は今後あんまりしない雰囲気を出しましたが、まだストックネタもあるので定期的には更新しようと思います。

さて、今回の記事は先週ちょうど公用で広島に行く機会がありまして千葉の方に帰る途中でどうしても宍粟市カントリーサイン撮影に行きたいと思い撮影をしてきたのでその時に撮影してきたものを紹介したいと思います。

(国道29号:姫路市境にて)

宍粟市兵庫県にある町で山崎町、一宮町波賀町、千種町の4町が合併してできました。場所は岡山県にほど近い山間部のまちです。上の写真が宍粟市カントリーサインです。兵庫県では基本的には章入りが主流で宍粟市も例に漏れずこのようなモノクロポジがほとんどです。

さて、私がなぜ宍粟市に行きたかったかというと、なんと合併で消失した4自治体のカントリーサインが残っているという情報がありまして、しかも章入りやイラストタイプがそのまま残っているというマニアにとってはうれしい自治体なのです。前にも宍粟市周辺で活動する計画があったのですがいろいろあってオジャンになったので今回はちょうどタイミングが合ったので1日かけて撮影してきたので紹介したいと思います。

(1・2枚目:市道 山崎町・一宮町境界 3・4枚目:市道 波賀町・千種町境界)

合併から約20年くらい経つのですがご覧の通り章入り標識がきれいに残っています。

まず、山崎町と一宮町ですが国道29号沿いの揖保川に架かる清姫橋のたもとに残っていました。支柱には兵庫県と書いてあったのでおそらく県道が降格した道なのでその名残で高規格な標識が設置されていたものと思われます。

一方、波賀町と千種町は国道429号の旧道で合併後の数年後に鳥ヶ乢トンネルができてそのまま降格して放置状態という感じで残っていました。

(1枚目:国道29号 旧一宮町境 2枚目:国道29号 旧山崎町境 3枚目:国道29号 一宮町境)

続いて、イラストタイプの方を紹介します。

国道29号の姫路~宍粟市はこのような独特のスタイルのイラストタイプが設置されていまして今でも宍粟市の旧自治体の境界で拝むことができます。(千種町はそもそも国道29号を通らないのでイラストタイプは存在しない)

山崎町はサツキ、一宮町播磨国一宮の伊和神社、波賀町は楓の町でモミジのイラストですね。

因みですが、山崎町の姫路側の境界はしばらく文字を宍粟市に変えて残っていましたが少し前に一番最初にお見せした普通の章入りタイプになってしました。同時に裏側の姫路市もイラストタイプから章入りになってしまい国道29号のイラストタイプはこの旧自治体だけになってしまいました。おそらく波賀町の県境側も新しく交換されているかもしれませんね。なので、このイラストタイプを含め旧自治体のカントリーサインサインはいつ撤去されてもおかしくは無いので撮影するなら早めにした方がいいかもですね。

以上

・おまけ

先ほど国道29号の姫路市宍粟市区間のイラストタイプと書きましたが宍粟市になった3自治体の他に、姫路市編入された安富町も通っていましたのでイラストタイプが存在していました。しかし、宍粟市みたいに旧姫路市と安富町の境界のカントリーサインが早々に撤去されてしまいイラストをまじかで見ることができないなと思っていました。(おそらく、宍粟市境界に姫路市の標識を持っていく関係で撤去されたものと思います。)

ところが、たまたま安富町方面を歩いていたら現在でも見れる場所を発見しました。

なんと、アジサイの里の案内板として現役だったのです!!安富町はアジサイとホタルのまちと掲げていまして国道29号の旧安富町のイラストも上記の写真と全く同じものが採用されており、まさかこんなところで生き残っているとは思っていなかったので驚きです。

カントリーサインマニアはカントリーサインの標識がメインで撮影するのが基本形ですがカントリーサインの歴史厨となってくると標識に使われていた旧自治体のイラストまで集めだすものですからもはや病気です(笑)

終わり

youmyan