youmyan’s diary

カントリーサイン好きの私 youmyan こと ゆうと が撮影したカントリーサインや旅の紹介をするブログです。

茨城県と町の違い

こんばんはyoumyanです!さて今回も自粛モードのため(新規撮影ができないため)過去の物から引っ張ってきたカントリーサインの写真でカントリーサインを紹介したいと思います。

前回同様、茨城県自治体から紹介します。今回は東茨城郡城里町です。

城里町東茨城郡と言いながら水戸市の西北に位置して栃木が近い町です。平成の大合併常北町、桂村、七会村の3自治体が2005年に合併して発足した町です。

さて、城里町カントリーサインですが茨城県に属しているということでやはり章入りがメインのようです。(逆に文字のみが存在するかわからない。)

しかし、以前紹介したひたちなか市常陸大宮市の回 同様県が管理してる標識と町が管理してる標識が若干違うのです!では見てみましょう。

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(1枚目:県道51号 水戸市境  2枚目:広域農道(ビーフライン) 笠間市境 )

お分かりいただけましたでしょうか?県が管理してる標識の方は文字数に対してやや横長となっています。一方、広域農道の方は文字数に合わせた丁度いいサイズになっています。基本的には2文字数(市町村の文字を含めて3文字)のカントリーサインは広域農道に設置されている城里町の標識と同じサイズになっています。しかしながら何故だか県管理の城里町の標識は若干横長なのです。稲敷市取手市でもこのような現象が起きているので、単なる発注業者の問題かもしれません。因みに常北町七会村、桂村時代は少なくても通常サイズ(桂村に関しては常北町等の2文字と同様のサイズ)でしたのでどうやら城里町になった際に新調したようです。(合併後のカントリーサインは案外、標識板はそのままで、旧自治体名を剥がして再印字もしくは上からシールもしくは新標識板を貼り付けて再利用することが多いのである。)

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(県道39号旧道 笠間市境にて)

おまけで、実は城里町にはこのような英無し章入りタイプも存在します。(以前、お世話になっていますカントリーサインのことが描かれたサイトに掲載されていたので昨年撮影してみた。)元々は七会村の章入りカントリーサインだったのですが、このように荒業で城里町と書き替えてます。この場所は記述通り県道39号の桜トンネル(城里町笠間市境)の旧道に当たる峠道で県管轄から外れてカントリーサインもしばらくの間も七会村のまま放置されていました。なので他の場所とは違い新調されず、町の職員が気づいて応急処置をしたため雑な感じになったと推測されます。

城里町にも例に漏れず県道と農道、町道とタイプが若干違うようです。茨城県は(カントリーサインマニア的には)案外面白い県なのかもしれませんね(^_^)

さて、城里町ですが実はカントリーサインに関してちょっと面白い話?がありますのでご紹介します。

1枚目の県道に設置されているカントリーサイン、よく見ると章部分が上から貼り付けてあるのがわかるでしょうか?新しく出来た自治体(特に平成の大合併で誕生した)ではカントリーサインが設置された時には章が制定されていないことがしばしあります。実際、城里町が誕生したのが2005年2月1日、城里町章が制定されたのが2005年3月25日。つまり空白の部分に後から貼りつけた(前回紹介した那珂市同様)ものだと考えていました。

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(県道61号 那珂市境にて撮影したものの拡大)

しかし、章部分を肉眼よーく見ると(写真だと見づらいかなぁ‥‥)何か下に別の何かが描かれていたらしき跡が。

この写真は県道61号のものですが一番最初に上げた県道51号のものも同様に章の下に何か描かれていたらしき跡がありました。他の地点もおそらく上から章が張られたやつはすべてそうでしょう。

一番最初に上げた県道51号のカントリーサインは2012年にはじめて城里町に行った際に撮影したものです。当時撮影した際「あれ?城里町章のシールの下に何か浮いて見えるなあ。」とこの事に気づきましたカントリーサインは性質上標識に後から貼りつけた物がシール様式だと下敷きになっている文字や章部分が浮き出て見えたりするのである。その事を知っていたためこの地点は旧常北町だったことから常北町章かなと考えました。しかし、知っている常北町章には見えませんでした。そもそも常北町時代の物を再利用するならば城里町の部分もシールで訂正された跡があるはずなのに写真の通り標識板に直接城里町と印字されていました。そしたら常北町の部分だけ剥がして城里町に書き換えた?いや、そうしたら何故常北町章を残すのか?このときは謎でした。

しかし、最近その謎を解く手がかりの鍵を見つけました!

と言うのもこの謎自体忘れていたころ、たまたまネットサーフィン(平成の大合併前の自治体のカントリーサインを探していた)していた時にこんな写真を見つけたのです!!

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 (写真提供:7K4CYI様 写真掲載許可はいただきました。)

何と、現行の城里町章と別のマークが存在していたのです!!

実は城里町章は城里町が出来た当初から決まっていた(それが上記の写真の章)ようです。しかし、城里町が誕生して数日後匿名にて「岐阜県白鳥町(現郡上市)章ににている」とメールが届いたそうです。そこで調査したところ城里町章(初代)を描いた人が白鳥町章の作者と同一人物だと発覚。このとき白鳥町は消滅していたが、「募集条件に違反していたことや、章の考案者が自ら認め、賞金も全額返金があったこと」から2代目の章が選ばれそれが現行の城里町章のようです。(詳細は気になるかたは 「城里町章」辺りで検索をかけると出て来ると思います。)

因みにこの写真は城里町が誕生した日(2005年2月1日)に撮影されたものだそうです。つまり、城里町は誕生した当時から章入りカントリーサインが設置されており 急遽、新町章を制定したがゆえに上からシールで張り替えたためあの謎が生れたようです。

そう考えると、茨城県は章入りカントリーサインにけっこう力を入れていたことがうかがえますね。それは章ラーとしては喜ばしいことですが章入りが最初からあったがゆえに新しく章を張り替えるため(しかもおそらく全境界)のお金(税金)が無駄に出されたことは否めないですね(^_^;) このようなことは滅多にありませんが良きと思って行った(章入りを設置した)ことが裏目に出ることがあり、物事は慎重にやらないといけないと思った次第です。(まさか、カントリーサインから教訓を得るとは‥‥)

さて、城里町カントリーサインの謎が解けたのはこの写真を撮影してくださった7K4CYI様のお陰様様です(本当にありがたいです。)ので、こちらの写真を掲載されている7K4CYI様のサイトをご紹介したいと思います。

URL:7k4cyi.web.fc2.com/index.html

こちらはアマチュア無線の移動運用を行っている7K4CYI様のサイトでアマチュア無線の運用情報や運用先の写真が多く掲載されています。移動した場所のカントリーサインも撮影されているようでして、合併前の自治体のもの等貴重な写真も掲載されていますので気になる方は是非覗いて見てください。

では、ここら辺で(^_^)/

youmyan